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大学ラグビーの黎明期 その歴史について

2016 10/17 10:21
ラグビー
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Photo by sainthorant daniel / Shutterstock.com

2019年開催のワールドカップを前に、先の2015ワールドカップでの日本代表の活躍が、記憶に新しいところですがともすればトップリーグよりも根強いファンが多い大学ラグビー、そのルーツや歴史について紹介します。

日本のラグビーの祖 エドガー・B・クラーク氏と田中銀之助氏

1899年(明治32年)、今からおよそ110年ほど前に慶應義塾大学の英文学教員のエドガー・B・クラーク氏が塾生に初めてラグビーを指導しました。それは夏の終わりから秋冬にかけて塾生たちが何もすることがないようにみえたからだそうです。野球のシーズンが終わり、退屈を持て余す彼らにその季節にできる屋外でのスポーツとして、ラグビーを推奨しました。教育者として、生徒たちには健全に過ごして欲しかったのでしょう。当時の塾生たちは余程、のらくら、ダラダラしていたのでしょうね。
クラーク氏は自信の日本語に不安があり、友人の田中銀之助に協力をもとめたのです。ケンブリッジ大学から留学を終えて帰国した田中氏は快諾し、熱意をもって塾生の指導に当たったそうです。ちなみに、クラーク氏は横浜生まれで父親はパン屋を営んでいたそうです。ケンブリッジ大学に留学後、日本に戻り教職に就きました。慶応義塾の後も、英語の教授として生涯を日本で過ごしました。当時は15人を集めるのも大変で、競走部の足の速い人や、体の大きな人を集めて練習をしていたようです。
クラーク氏は後に、自分が30数名に教えたラグビーが、日本全国にひろまり、ましてや外国の選手と戦って勝つ日がくるなど夢にも思わなかったと手紙に書いています。

ルーツは負けない 学習院大学ラグビー部

エドガ・B・クラーク氏とともに、ラグビーを日本人に伝えた田中銀之助氏は、学習院大学の出身でした。
慶応でラグビーを教えるにあたり相手がいないと試合になりません。そこで慶応義塾と同じ時期に学習院でもラグビーの指導があったのです。また、日本ラグビー協会初代会長を務め、ラグビーの普及に大きく貢献した高木嘉寛氏も学習院の出身でした。
学習院のラグビーの創立は昭和3年とされていますが、それは昭和51年に当時のOB会を組織立ったものにしようということになり、第一回総会で創立をいつにするかという話し合いの中で、昭和3年1月28日に成城学園高校と試合をした記事が東京日報に掲載されていたことから、丁度50周年になるし、昭和3年に決まりました。

日本ラグビー協会名誉総裁 秩父宮様と妃殿下

ラグビーといえば、大阪の花園競技場、東京の秩父宮競技場があまりにも有名です。
大正天皇の第二皇子としてお生まれになり、とても活動的でスポーツが好きなことから、「スポーツの宮様」として国民に慕われました。
殿下が初めてラグビーを観戦したのは大正12年頃のこと、霜の降りたグチャグチャのグランドで、泥にまみれ膨らんだボールをこれまた泥まみれの選手たちが追いかけ、満足にパスやキックがつながらない試合を、少ない観客がボールと一緒に移動しながら観戦したそうです。それが、昭和になると選手のレベルも向上し、競技人口も増え、万を超える観客が見守る人気スポーツとなったのです。
御自身ではプレーをすることがありませんでしたが、競技場の創設や協会の運営などにも尽力されました。昭和22年にはラグビー協会総裁に任命され、国際試合などでは競技場や歓迎会場にお出ましになり、選手を激励、そして観戦され、また記念の品を選手にお渡しになりました。宮様がご逝去された後は、妃殿下がご遺志をお継ぎになり代わりに務められました。

大学ラグビーリーグの歩み その歴史

大学ラグビーの試合は、関西大学リーグ、九州リーグ、北海道リーグ、東北リーグ冬季北陸リーグ、中国四国リーグでそれぞれ総当たり戦が行われます。
関 東は少し特殊です。伝統校による対抗戦グループと、新興校によるリーグ戦方式に分かれています。対抗戦グループは早大、慶応、明治を中心に例年同じ日程で決まった相手と対戦していました。(現在ではA,Bそれぞれ8校からなる二部制で、総当たり戦となり、入れ替え戦も実施していますが、)日程が決まっているため、新たに加入してもなかなか試合ができません。
対してリーグ戦グループは一部から六部まであり、総当たり戦を実施しています。伝統のある一戦の日程を守りたい伝統校と、新たに加盟した、総当たりで戦いたい新興校の主張が物別れとなり、1967年に法政、中央、日大、専修、大東大等がリーグ戦グループを開設し現在に至っています。
また、それまで東西の大学リーグ戦の上位4校で争われていた東西対抗戦のかわりに、1964年にラグビー大学選手権が開設され、それぞれのリーグの上位校によるトーナメント方式で争われます。
そして更に、大学選手権で優勝すると、トップリーグの優勝チームと戦い、日本一を決める日本選手権に出場することができます。過去には早稲田大学、慶応大学、同志社大学などが日本一になっています。

関西の雄 同志社大学ラグビー部

1911年創部とその歴史は古く、慶応、京都三高(京都大学)に」ついで日本で3番目にラグビー部ができました。創部翌年の1924年からは慶応義塾との定期戦が、1923年には早稲田、1925年には明治と始まりました。
1961年には、早慶明校に勝利しNHKカップに出場し、社会人王者である近鉄ライナーズを破り、栄えある日本一に輝きました。1980年代には4回の大学日本一となり、2002年~2005年関西リーグで四連覇を達成しました。関西の大学の中で唯一、大学選手権日本一、日本選手権日本一を制したチームです。

まとめ

最初にラグビーを習った生徒たちは、おそらく暇つぶしで始めたのかもしれません。道具や環境も整っていませんし、試合の相手を探すことも難しかったはず…。それが少しずつスポーツとして広まり、寒くて家の中にこもりがちな生徒たちを、屋外へ引っ張り出しました。紳士の国で生まれたのにふさわしい紳士のスポーツ、ボールを持った決死の鬼ごっこのようなラグビー。日本の2015年のワールドカップの勇姿を秩父宮様両殿下がご覧になっていたら、きっと微笑みながら観ていらっしゃったに違いありません。