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ノンスタイルイケメンプロレスラー・飯伏幸太選手の解説

2017 1/18 10:02
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by 977_ReX_977/Shutterstock.com

常に新しいことに挑戦し続けるプロレスラー、飯伏幸太選手。 プロレス業界初の2団体所属の先に見るものや、生い立ち、さまざまな逸話について紹介します。

飯伏幸太選手の生い立ち

飯伏幸太選手は、鹿児島県姶良市出身のプロレスラーです。
小学生最後の春休みに西日本プロレスを観戦してそのアツさに心を奪われ、試合が終了した後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスなどを披露して身体能力の高さをアピール。合格に成功しました(中学を卒業してからということで、帰されはしましたが)。
デスマッチと称して石の上でプロレスごっこをしたり、校庭や柔道場でプロレス技を友達にかけたりもしました。友達に嫌がられたら、練習のためだとお小遣いを貯めたお金を払ってかけることもあったなど、さまざまな逸話が残されています。

飯伏幸太選手がプロレスラーになるまで

中学校卒業後に新日本プロレスの入団テストを受けようとするも、親に止められて断念し、鹿児島県立加治木工業高等学校でラグビー部に入部します。高校卒業後は成田空港で旅客機の機内清掃係として働いていましたが、プロレスを忘れられず1年ほどで退社します。
2004年にデビューを果たしますが、プロレスラーになったことを親に伝えられませんでした。フジテレビ「こたえてちょーだい!」に視聴者からの相談として出演し、両親を試合に招待しました。試合には負けてしまったものの、父親から激励の言葉をもらいました。

話題の尽きない飯伏幸太選手

飯伏幸太選手は、非常に変わった性格の持ち主で、DDT所属の頃の公式パンフレットで連載していた日記や、リング上での独特の世界観を持っています。
巡業先で酔っ払い、TAKAみちのく選手の前髪をはさみで切ったり、Twitterを始めて以降、レスラーの全裸画像(モザイクあり)を次々投稿して危険人物扱いされたりしていました。また、同僚選手のきわどい写真をモザイクなしで投稿し、Twitterにログインすることも、新たなアカウント作りもできなくなったこともあるといいます。

目立つことをする飯伏幸太選手の想い

飯伏幸太選手は、本屋やキャンプ場、居酒屋や大学構内など、リング外での試合に熱意を燃やしており、そのような活動でプロレスの知名度を上げて、リングに足を運んでほしいという真面目な思いもあるようです。
DDTプロレスリングでプロレスラーとして出場する人形であるヨシヒコとの興行をメインとして成り立たせてしまうほどのプロレス脳で、チャンピオンベルトを獲得した際の防衛戦の相手にヨシヒコを独断で指名し、後楽園ホールのメインで戦い、白熱した試合を魅せました。

飯伏幸太選手の今後に注目です

プロレス業界初となるDDTと新日本プロレスの2団体所属選手だった飯伏幸太選手は、2団体に所属していた2年半で、身体のいたるところに痛みがあり、精神も削られていったといいます。
両団体のはざまでアイデンティティを失いかけ、本気で失踪を考えるまでになった飯伏選手は、2016年2月に両団体を同時に退団し、飯伏プロレス研究所を設立しました。両団体には感謝しているという飯伏選手は、今後も新しいことをやり続け、怪しい動きをしたいと語っています。

まとめ

プロレス界の中でも変わった経歴の持ち主である飯伏幸太選手のさまざまな逸話などを紹介しましたが、いかがでしたか? プロレス業界初の2団体所属を望まれるほどの魅力を持った飯伏選手の話は、まだまだ書き足りないものもありますので、ぜひチェックしてみてください。