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常に期待されているプロレスラー中邑真輔選手について

2016 12/21 10:03
プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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Photo by " Photoraidz"/Shutterstock.com

新日本プロレス入団当時から期待され、そのまま期待にこたえ続け、スター街道を走り続けている中邑真輔選手。 生い立ちから今に至るまでをまとめてみた。

中邑真輔選手の生い立ちから

1980年生まれで、京都出身の中邑選手。中学生の時はバスケットボールに励み、大会では優勝に貢献するほどの実力を持っていた。そして、中学卒業でプロレス入りを志望したが、高校に進学してからでも遅くないと説得され、進学した学校でレスリングに励む。
高校卒業後にプロレスの道を志すも、大学からのスカウトや、親からの意見で大学進学を決心。大学ではレスリング部と美術部に在籍し、美術部では画家として展覧会に。レスリング部では主将も務め、総合格闘技のトレーニングもしていた。

中邑真輔選手の新日本プロレスでの活躍

2002年に新日本プロレスに入団し、8月にデビューを飾った。レスリングと総合格闘技トレーニングの実績で期待の新人で、デビュー戦後は、LA道場でのトレーニングをさせてもらうという新人では異例の待遇に。
そして、翌年の2003年、デビュー1年にも満たない時期に、選ばれし者が出場できるG1 CLIMAXに初出場した。その年、IWGPヘビー級王座にも初挑戦。デビューしてから最速で最年少という記録で王座奪還を果たし、現在(2016年)もその記録は破られていない。
その後も2度のIWGPヘビー級王座、IWGP U―30無差別級王座、5度のIWGPインターコンチネンタル王座、G1 CLIMAX 1度の優勝と2度の準優勝、IWGPタッグ王座、NWFヘビー級王座、数々のプロレス大賞など、数えきれないほどの王座に輝いている。

中邑真輔選手のWWEへの移籍

新日本プロレスでは強くてキャラクター性もあり人気の高い中邑選手。海外志向が強く、より新しい刺激を求める性格から数年悩み抜いた結果、2016年からアメリカのWWEへ移籍を決めた。
過去日本人がWWEへ入団する際は、リングネームやキャラクターやファイトスタイルからコスチュームまでも、そのまま日本スタイルを持ち込むことはなく、変更されるのが当たり前だったが、この中邑選手は前代未聞!そのまま新日本プロレスからの中邑真輔をWWEに持ち込んだ。
そして早々に、NXTデビューを果たしてから無敗のまま第9代NXT王座に輝いた。

中邑真輔選手の得意技

WWE移籍後、NXTの試合で初勝利をもたらせたキンシャサ。顔面への膝蹴りで、以前はボマイェと呼ばれていた。この技の発展系も多々あり、この試合ではコーナーの2段目に立ち、飛び上がって放つダイビング式キンシャサを披露した。ちなみにNXT王座に輝いた試合でもキンシャサで勝利を決めた。
また、最高潮の時に出るお約束の雄叫び「イヤァオ!!」や、入場やストレッチ、ロールブレイクの時やリングコーナーへ追いつめた時など色々な場面で披露するくねくねポーズも、最初観たときは衝撃さえも感じられるが癖になる!

中邑真輔選手のお人柄

リングでは独特なキャラクターで強者の中邑選手だが、それも努力家の一面があるからこそ。学生の頃はプロレスマニアで知られ、格闘技などをしていたのもプロレスに役立つからという話もあるくらいだ。
また、探究心も旺盛なようで、刺激を求めつづけ、世界という大舞台のWWEに移籍したのだが、インタビューで語っているように、向こうでは近所に住んでいるアメリカ人のおばあちゃんの家で、アクセントの矯正などして生の英語を教えてもらっているそう。
そんな風に教えてもらえるということからも、中邑選手の性格が表れている。たとえば英語で寿限無を言えるくらい、自分の言葉で味のあることを言えるようになりたいとも語っている。

まとめ

常にトップを走り続け、世界に通用する中邑真輔選手。 今があるのは努力と人柄と前向きな性格の持ち主の中邑選手だからこそと、妙に納得してしまう。 独特のスタイルにハマる人が多いことは間違いなく、今後の活動からも目が離せない。