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パラリンピック円盤投げ大井利江選手について

2017 6/13 12:41フェデ
円盤投げ
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Photo by wavebreakmedia/Shutterstock.com

パラリンピック円盤投げのメダリスト大井利江選手をご存じですか?奥様と一緒に挑んできた競技生活のエピソードがよく知られています。その親しみやすい性格が彼の魅力の一つでもあります。

円盤投げのベテラン「大井利江」選手

北京パラリンピック陸上男子円盤投げで見事銅メダルを獲得した大井利江選手。彼は岩手県洋野町種市出身の選手です。この時すでに60歳と陸上最年長選手での出場となりました。
陸上選手として戦い、そして彼を支えてきたのが妻の須江子さんでした。彼女のサポートもあり、見事北京で銅メダルを獲得することができました。大江選手が銅メダルを獲得したその際のコメントが

「女房に残念だったと報告します。」

出典: 毎日新聞(9月15日配信 )

でした。実は、前回大会のアテネパラリンピックでは銀メダルを獲得していたため、そのような言葉になったのだそうです。金メダルをともに目指していただけにそのくやしさから出た言葉でした。

円盤投げのメダリスト大井利江選手とは。

パラリンピック円盤投げ、アテネで銀メダル、北京で銅メダルを獲得した大井選手。彼は岩手県沿岸の洋野町出身で、遠洋マグロ漁業の漁師である父の後を継ぎました。
しかし39歳の時、北太平洋ミッドウェー沖にてマグロ漁船を操業中、突然のしけに見舞われ、漁具が体にぶつかります。その結果、胸から下がマヒとなり、車いすを使用することになりました。当初はかなり落ち込んだそうですが、妻、子ども3人のために、前を向いて進んでいく覚悟を決めました。

メダリスト大井利江選手の円盤投げのとの出会いとは?

自分が障がいを持ったことで、当初はかなり落ち込んでいた大井選手。しかし、障がいを持ったことで人生の次の目標を決めて取り組むようになります。
最初、水泳大会に参加することから始めました。そしてその後1999年、友達に連れられて陸上の大会を見に行った先で、その体格の大きさから円盤投げにスカウトされます。その後、曲げた指を円盤にひっかけて投げる練習を繰り替えした努力が実り、円盤投げの選手として華やかしい成績と残すこととなりました。

円盤投げ大井選手の北京オリンピック!

とにかく気合をいれたという北京パラリンピック。固定された椅子から放たれる円盤はきれいにその円を描いて行きます。最初の1,2投目までは無難な記録でしたが、3投目でこの日ベストの26m21cmを記録します。
アテネパラリンピックで銀メダルを獲得して以降、4年後の北京では、障がいの軽いクラスに変更を余儀なくされたため、以前のクラスであれば金メダル獲得ができていたであろう記録をだしていながら、銅メダルという結果に終わりました。

円盤投げ大井選手の夢

パラリンピックでは、レジェンドといっても過言ではない大井選手。というのも、大井選手は、プレッシャーのかかる場面でも、最高のパフォーマンスを発揮していたからです。あるとき、大井選手のパワーの源はなにかと尋ねられた際には

「夢があるんだよね。もっと遠くへ投げたいっていう夢が。生きている限り、みんなにほんの少しでも希望を与えられたら」

出典: MA SPORTS

という言葉を残しています。これからも大井選手の戦いは続きます。

まとめ

己の限界に挑戦し、円盤をかけている指先に集中をしながら一瞬で投げるタイミングを掴む。単純なようで難しい。人生半ばで障がいを負っても、不屈の闘志で新たな目標を持ち家族とともに人生を歩んでいく大井選手は多くの人々に勇気を与えてくれます。

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