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観衆も驚いた、競馬におけるアクシデントやハプニングを紹介

2017 7/10 10:01TANANA
競馬
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Photo by gabriel12 / Shutterstock.com

騎手と競争馬が一体となってフィールドを駆け巡るさまは、見るものの胸を熱くさせます。 そんな熱戦の中には、予期せぬアクシデントやハプニングもつきもの。 今回は、過去の競馬史において特に観衆を驚かせた出来事を紹介していきます。

スローペースが巻き起こしたアクシデント!

例年3月に行われる阪神大賞典は、G1級の力を持つ競争馬の始動戦としての位置付けがなされています。
2012年の同レースに出走したオルフェーブル号も、前年G1を4勝した後の休み明けの一戦でしたが、同馬の特徴でもある激しい気性がアクシデントを起こしました。あまりのスローペースに暴走気味にレースを進め、騎手が必死に抑えようとしたところ、レースが終わったと勘違いして向正面でズルズルと最後方まで下がってしまったのです。
誰もが故障発生かと思った瞬間、再びレースに復帰。4コーナーに到達するまでに何と再び首位争いに参加したのです。内をうまく通った馬に負けてしまったものの、自身も2着となり、改めて怪物ぶりを示したレースとなりました。

新馬戦特有のアクシデントを紹介

厳しい調教やゲート試験を受け、晴れてレースに出走することになる若駒たち。しかし、実際はまだまだ競馬に慣れていないので、時にとんでもないアクシデントを起こすこともあります。
2010年、東京競馬場でデビューを迎えたフェイトフルウォー号は、入場の際に突如イレこみ、騎手を振り落として放馬してしまったのです。他の馬にちょっかいを出すなどヤンチャぶりを見せつけたものの、レースにはそのまま出走。
放馬による疲れなどみじんも感じさせず、7番人気の低評価ながら2着馬を2馬身引き離す圧勝で、観客から大きな拍手と声援を受けました。

ゴール直前の突然のアクシデントで彼がとった行動とは

アメリカ出身のケント・デザーモ騎手は、自国でトップジョッキーとして鳴らし、2001年に初めて短期免許を利用して来日しました。同年、オークスを制するなど活躍、有力馬の騎乗依頼が殺到するようになり、毎年参戦するようになりますが、2005年、そんな彼にアクシデントが襲います。
年末の2歳G1、朝日杯FSでジャリスコライト号に騎乗した彼は、最後の直線に入って上位をうかがう位置にいました。しかし、残り100mで何とムチを落としてしまうのです。慌てた彼は、思わず手で馬の背中をペチペチ叩き鼓舞、何とか3着に入線しました。リプレイが流れた時、観衆から失笑が漏れるアクシデントとなったのです。

日本競馬を愛する外国人ジョッキーの起こしたハプニングとは

1999年に初来日したミルコ・デムーロ騎手は、その卓越した騎乗技術から関係者の信頼も厚く、彼自身が日本を気に入ったこともあり、以降ほぼ毎年参戦するようになります。
2012年の天皇賞・秋ではエイシンフラッシュ号に乗り優勝しましたが、その時にハプニングが起きました。この日、東京競馬場には天皇・皇后両陛下が来場。天覧試合ということで厳かな雰囲気となっていたのですが、デムーロ騎手はゴール後に下馬し、両陛下に向かって最敬礼したのです。
後検量前の下馬は審議対象となるのですが、不問に付され、観衆からも温かい拍手が沸き起こりました。

闘争本能があり余ってアクシデントを起こした名馬

1996年にデビューを果たしたシンコウウインディ号は、ダートで安定した活躍を見せ、翌年にはG1に昇格したばかりのダート頂上決戦、フェブラリーステークスを制覇しました。
同馬の最大の特徴であり個性であったのが、あり余る闘争本能を表すかのような噛みつきグセ。1996年8月の館山特別において、最後の直線で抜け出したものの、背後から迫ってきたダイワオーシャン号に対し、抜かれまいと思ったのか噛みつきにいったのです。そのせいで失速して2着に敗れてしまいます。このハプニングは全国的に有名となりました。

まとめ

以上見てきたように、競馬の世界では騎手や競争馬が時に思わぬアクシデントやハプニングを巻き起こします。 中には笑えるものもありますが、そういうものも含めて、競馬場にはたくさんの魅力が詰まっていると言えます。