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教えて!体操界あん馬のレジェンド鹿島丈博の功績について

2017 1/30 21:11
新体操,フロアマット
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Photo by Mitrofanov Alexander/Shutterstock.com

2016年のリオオリンピックの体操種目は非常に盛り上がり、日本中に感動をもたらした。今回はあん馬のスペシャリストと呼ばれた鹿島丈博さんの功績を紹介する。

鹿島丈博の子供のころ

鹿島選手は、1980年7月16日に大阪府大阪市で生を受けた。小さな頃から体操競技に取り組んでおり、中学3年生の時には特別に全日本選手権に出場していた。あん馬種目において、男子大会史上最年少の15歳で見事優勝を果たした。
そんな鹿島選手だが、最初はあまり体操が好きではなくつらい練習に幾度となく辞めたいと思っていたようだ。だが、徐々に体操にのめりこんでいきオリンピックに出るまではやめないと誓った。

あん馬に向いた体形

鹿島選手は、体格として筋肉が付きにくいといわれており、筋力が必要な吊り輪などの種目は得意としていない。だが、「あん馬の申し子」といわれるように、非常にあん馬に向いた体系をしている。鹿島選手の股下は86cmであり、それに対して手の長さが64cmと比較的手の長さが長い選手だ。そのためあん馬で演技をするのに非常に向いているといわれている。
また、肩幅が狭く40cmと細身であるため、あん馬をするのに非常に適した体だった。

2004年アテネオリンピックでの功績

2004年アテネオリンピックの前年に開催されたアナハイムの世界体操競技選手権において、鹿島選手は日本人として初めて金メダルに輝いた。その功績から、アテネオリンピックにおいても、かなりの期待が高まった。その期待に応えるかの如く、鹿島選手は難易度の高い技を次々と決め、見事団体総合の金メダルを獲得した。
個人にのあん馬競技においては、残念ながら銅メダルとなってしまったが、これからの活躍に期待するファンがかなり増えていた。

怪我とショーン(メリゴーランド)との闘い

順風満帆に見えた鹿島選手だったが、アテネオリンピック後には、怪我に悩まされることとなる。痛みにより2006年の世界選手権を断念し、2007年に復帰戦を飾ろうとするも、ショーン(メリーゴーランド)の練習中に怪我をしてしまう。その怪我の際に左手の甲を骨折したことから、世界選手権は欠場となり補欠として登録していた水鳥選手が出場することとなった。
鹿島選手は、数々の怪我に苦しむこととなり、さらに今後の競技においてショーン(メリーゴーランド)がネックとなるのだった。

2008年北京オリンピックでの功績

鹿島選手は、怪我により2008年の北京オリンピックの一次選考会には参加することができずに、誰もが代表入りをあきらめかけていたのだが、これまでのあん馬競技における功績を考慮され、2次選考から参加することが認められた。他の競技では劣るものもあったものの、圧倒的なあん馬の演技により見事北京オリンピック代表に選出された。
しかし、ここでまたショーン(メリーゴーランド)が鹿島選手を苦しめる。北京オリンピックの団体予選で、ショーン(メリーゴーランド)の演技を始めた時に落下してしまうのだ。その演技が種目別予選も兼ねていたため、あん馬の個人決勝に進出することができなかった。団体は無事決勝に進出したが、決勝ではショーン(メリーゴーランド)を封印して、金メダルは逃したものの見事銀メダルを獲得した。

まとめ

2008年北京オリンピックまで選手として日本体操界を支えてきた、あん馬のスペシャリスト鹿島丈博選手について紹介した。鹿島選手は、現在現役を引退しているが、指導者として次世代の選手を育てている。ぜひ、次のあん馬のスペシャリストを育て上げてほしいものだ。