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平成22年 宮里藍が世界ランキング1位【平成スポーツハイライト】

2019 1/6 07:00SPAIA編集部
宮里藍,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

高校3年で優勝したニューヒロイン

平成の女子ゴルフ人気を引っ張ったのは間違いなく宮里藍だろう。初めて世間に認知された平成15年(2003年)9月の「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」はセンセーショナルだった。

当時、東北高校3年生だった宮里は、トップと1打差でスタート。宮里を含めて3人が首位で並び、迎えた最終18番パー5、パーでフィニッシュした2人に対し、2メートルのバーディを決めた。昭和48年「トヨトミレディス」の清元登子以来、30年ぶり2人目となるアマチュア優勝、しかも18歳101日はツアー最年少記録だった。

ニューヒロインは10月9日にプロ宣言し、史上初の女子高生プロゴルファーとなった。翌16年3月の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」では、兄でプロゴルファーの優作がキャディとして共に回り、地元・沖縄のファンの前でプロ初勝利。この年は計5勝を挙げて賞金ランキング2位となり、5年連続賞金女王に輝いた不動裕理を最後まで苦しめた。ライバルの横峯さくらとともに女子ゴルフ人気の牽引役だった。

翌17年2月には、第1回ワールドカップに日本代表として北田瑠衣とともに出場。世界の強豪を抑えて見事に優勝した。

10月の日本女子オープンでは当時の大会最年少記録を更新する20歳3カ月で優勝。さらに最年少でツアー10勝、最速での生涯獲得賞金2億円突破と記録ずくめの勝利となった。観客動員は4日間で史上最多の48,677人、最終日は21,018人が訪れ、藍ちゃんフィーバーはピークだった。

平成18年から米ツアー挑戦

宮里は平成18年(2006年)から米ツアーに挑戦した。この年は出場21戦中19戦で予選通過し、賞金ランキング22位に入ったが、翌年は5戦連続予選落ちするなどスランプに陥った。

しかし、平成21年のエビアン・マスターズで米ツアー初優勝を果たし、賞金ランキング3位に飛躍すると、翌22年は開幕から2週連続優勝。さらにトレスマリアス選手権を19アンダー、ショップライトLPGAクラシックも16アンダーで制し、6月21日付の世界ランキングで日本人初の1位となった。

8月にはセーフウェイ・クラシックでも勝利し、米女子ツアー日本人最多のシーズン5勝目を挙げた。

翌23年にはエビアン・マスターズ2度目の優勝。11月には模範的な選手に贈られる「ウィリアム&モージー・パウエル賞」を日本人として初めて受賞した。

惜しまれながら33歳で引退

順風満帆に見えたゴルフ人生。しかし、世界のトップに立ったことで宮里は戦う理由を失っていた。平成29年(2017)年5月26日、記者会見を開き、同年限りでの引退を表明。「昨年の夏頃に決意した。4、5年前からモチベーションの維持が難しくなった」と説明した。

最後の試合となった9月のエビアン選手権最終日。33歳での突然の幕引きに、グリーン脇で見守るポーラ・クリーマーら仲間が泣いていた。最後のパットを決めると、宮里も涙をこらえ切れなかった。平成を駆け抜けたヒロインは多大な功績を残し、グリーンを去った。