高校3年で優勝したニューヒロイン
平成の女子ゴルフ人気を引っ張ったのは間違いなく宮里藍だろう。初めて世間に認知された平成15年(2003年)9月の「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」はセンセーショナルだった。
当時、東北高校3年生だった宮里は、トップと1打差でスタート。宮里を含めて3人が首位で並び、迎えた最終18番パー5、パーでフィニッシュした2人に対し、2メートルのバーディを決めた。昭和48年「トヨトミレディス」の清元登子以来、30年ぶり2人目となるアマチュア優勝、しかも18歳101日はツアー最年少記録だった。
ニューヒロインは10月9日にプロ宣言し、史上初の女子高生プロゴルファーとなった。翌16年3月の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」では、兄でプロゴルファーの優作がキャディとして共に回り、地元・沖縄のファンの前でプロ初勝利。この年は計5勝を挙げて賞金ランキング2位となり、5年連続賞金女王に輝いた不動裕理を最後まで苦しめた。ライバルの横峯さくらとともに女子ゴルフ人気の牽引役だった。
翌17年2月には、第1回ワールドカップに日本代表として北田瑠衣とともに出場。世界の強豪を抑えて見事に優勝した。
10月の日本女子オープンでは当時の大会最年少記録を更新する20歳3カ月で優勝。さらに最年少でツアー10勝、最速での生涯獲得賞金2億円突破と記録ずくめの勝利となった。観客動員は4日間で史上最多の48,677人、最終日は21,018人が訪れ、藍ちゃんフィーバーはピークだった。