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平成10年 ジャンボ尾崎が12度目の賞金王【平成スポーツハイライト】

2018 12/24 15:00SPAIA編集部
尾崎将司,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

平成最初の10年間で賞金王8度

平成のゴルフ界を振り返ると、前半は青木功、中嶋常幸とともに「AON」と呼ばれた、ジャンボこと尾崎将司の強さが際立っていた。平成元年からの10年間で賞金王に輝くこと8度。我が世の春と言っても過言ではないほどの目覚ましい活躍だった。

元々野球をしていた尾崎は、徳島・海南高校のエースとして昭和39年センバツで優勝。卒業後に西鉄に入団したが、わずか3年で退団し、プロゴルファーに転身した。

昭和46年に日本プロで初優勝。48年にはマスターズで8位入賞し、初の賞金王に輝いた。翌49年には日本オープンも制し、2年連続賞金王。昭和52年にも4勝して3度目の賞金王となった。その後は青木と中島に計4度ずつ賞金王の座を奪われるが、昭和63年に6勝を挙げて4度目の賞金王に輝くと、平成10年に12度目の賞金王を獲得するまで無類の強さを誇った。

レギュラーツアーにこだわり、55歳で優勝

181cmの恵まれた体格から「ジャンボ」と呼ばれ、「ジェット」と呼ばれた次男・健夫、「ジョー」と呼ばれた三男・直道とともに尾崎3兄弟はゴルフ界を席巻。オフには3兄弟以外にも、ジャンボ軍団と称された飯合肇、川岸良兼、伊沢利光らと合同自主トレを行うなど、他のプロゴルファーにも多大な影響を与えた。

50歳を超え、ライバルたちがシニアツアーに舞台を移しても、ジャンボは頑なにレギュラーツアーにこだわった。平成14年の全日空オープンでは、昭和48年のツアー制度施行以来、最年長の55歳で優勝。実に777日ぶりの勝利の美酒だった。

しかし、以降は坐骨神経痛を患った影響もあって低迷。平成25年4月のつるやオープン初日には1イーグル、9バーディー、2ボギーとコースレコードタイの62で自身初のエージシュートを達成したが、近年は予選落ちを繰り返している。

ツアー94勝は不滅の金字塔

平成31年1月24日で72歳になるジャンボ。最近は引退も取り沙汰されるが、これまで113勝(ツアー94勝)を挙げ、賞金王12回、メジャー20勝の最多記録は当分破られそうにない。