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待望の賞金王獲得とオリンピック出場、池田勇太選手の2016年

2017 6/28 09:44hiiragi
yuta ikeda
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2009年からの忘れ物、賞金王を獲得した2016年

池田選手は千葉県出身のプロゴルファーである。東北福祉大学を卒業して2007年プロゴルフテストに合格、2008年からツアーに参戦。ツアー参戦1年目で賞金ランキング52位になり、シード権を獲得すると、2009年にはツアー4勝を挙げ、賞金ランキングも2位まで上昇する。すぐにでも賞金王になるだろうと、期待させる勢いだった。しかし、毎年上位に顔を出すものの、一歩及ばず、念願の賞金王獲得はその後ようやく2016年となる。
そんな飛躍を遂げた2016年、池田選手の初戦は1月28日開幕のSMBCシンガポールオープン。この試合は、日本ゴルフツアー機構の開幕戦で、アジアンツアーとの共同主管で行われた。従来の開幕戦は、4月に行われる東建ホームメイトカップだが、これでは年明けから開幕までのトーナメントのない期間が長すぎる。そこでアジアシリーズとして、アジアンツアーとの共同主管試合を1月に開催し、開幕戦を早めるとともに、ツアーの試合数そのものも増やすことにした。
アジアシリーズは2戦目レオパレス21ミャンマーオープンと続き、3戦目は4月のパナソニックオープンゴルフチャンピオンシップとなる。

選手会長として新規トーナメント開催に尽力

池田選手は2013年~2015年まで日本ゴルフツアー機構選手会の会長を務めた。その関係もあり、アジアシリーズの開催に向けては、一方ならぬ苦労もしている。
特に2戦目のレオパレス21ミャンマーオープンでは、スポンサー探しから始め、アジアンツアー幹部との人間関係を活かし、2013年で打ち切りになったミャンマーオープンを、日本ゴルフツアー機構のトーナメントとして、再開させたという経緯がある。
そんな思いも手伝ってか、アジアシリーズ第1戦のSMBCシンガポールオープンでは23位タイ、第2戦のレオパレス21ミャンマーオープン8位タイと順位を上げ、第3戦のパナソニックオープンゴルフチャンピオンシップでは、最終日の逆転で2016年の初優勝を飾ることとなった。
パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップも、2013年で廃止となったアジアパシフィックパナソニックオープンを復活させた形で、アジアシリーズとして新規登場した大会である。この大会の優勝により世界ランキングは上がり、夏に行われるオリンピックの代表枠内に入ることができた。

不調の中でも見せ場を作った全米プロゴルフ選手権

開幕から4戦目で優勝を挙げてからは、次戦の中日クラウンズで5位タイ、その次の関西オープンゴルフ選手権競技で5位タイに入った後は、不調が続いた。
6月に行われたメジャー初戦日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hillsでは、初日まさかの80を叩き、105位からのスタート。さすがに2日目は-1の70で回り、ぎりぎりの60位タイで予選は通過するものの、3日目70、4日目74と挽回できず、30位タイで試合を終えた。
メジャー2戦目となった、日本プロゴルフ選手権大会日清カップヌードル杯では、初日77を叩き114位からのスタートとなり、2日目もリカバリーできず予選落ちとなってしまう。2016年は海外メジャーにも積極的に出場する。しかし全米オープンでは予選落ちを喫し、全英オープンでは初日-3で12位タイにつけるものの、2日目以降アンダーパーで回ることができず、最終的には72位タイと、全くいいところがなかった。
それでも3戦目の全米プロゴルフ選手権では少しだけ意地を見せることができた。初日パープレーの36位タイから、2日目は-3で回り、13位タイまで順位を上げる。残念ながら3日目スコアを崩したが、最終ラウンド最終ホールで2オンに成功、見事イーグルを決めて、観衆の声援に応えることができた。

2020年東京に向かって、2016年リオ・オリンピックに出場

2016年、112年ぶりにオリンピックでゴルフ競技が再開されることとなった。競技内容は72ホールストロークプレーで、出場資格は、7月11日時点での世界ランキングによって決められる。日本の出場枠は2名。池田選手の世界ランキングは2015年末で86位で日本人では15位の松山英樹選手、59位の片山晋呉選手に次ぐ3位。
2016年は試合の度に順位に変動があり、7月4日時点の順位は、長嶋茂雄招待セガサミーカップで優勝した谷原秀人選手が84位で2位に上がり、池田選手は91位の3位、片山選手は103位の4位となる。ところがここで日本人1位の松山選手がオリンピックを辞退、続いて谷原選手まで辞退する。
この頃、男子オリンピックに出場権のある選手からの出場辞退が続いており、それが全世界的な話題になっていた。主な原因として会場付近の治安の悪さと、会場周辺で広がっていたジカ熱への健康不安。加えて、メジャーの優勝こそがプロゴルファーの目標だとの、考えもあったかもしれない。
そんな中、日本人1番手に躍り出た池田選手は、当然のようにオリンピック出場を表明。「出ないと何もわからないし、2020年東京に向かって何かを伝えたい。」そんな池田選手の熱い思いが出場を決めさせたのである。

谷原秀人選手との熾烈な賞金王争いに勝利

池田選手のオリンピックの目標は、もちろんあくまでもメダル獲得。しかし、終盤スコアを落とし、21位タイでオリンピックを終えることとなる。この悔しい思いを、日本に持ち帰り、トーナメント後半戦の賞金王争いにぶつけた。結果、ANAオープンゴルフトーナメント、トップ杯東海クラシックで1打差の2位と優勝争いを続け、HONMA TOURWORLD CUPで今季2勝目を果たすこととなった。
この優勝で賞金ランキングは谷原秀人選手に次ぐ2位に上る。そしてここから、2人の一騎打ちが始まった。
次戦の日本オープンでは、松山英樹選手に次ぐ2位タイで、30位に終わった谷原選手を抜いて賞金ランキングトップに躍り出ると、11月のHEIWA・PGM CHAMPIONSHIPでは谷原選手が優勝して再びトップの座を譲る。しかし、翌々週のダンロップフェニックストーナメントで2位に入り抜き返すと、翌週のカシオワールドオープンで優勝して、池田選手がほぼ賞金王を手中にすることになった。
最終的に、池田選手は最終戦のゴルフ日本シリーズJTカップで2位タイに入り、賞金王を確定させた。賞金王争いで世界ランキングは上昇、2016年末には33位まで上がり、2017年のマスターズ出場権を確保した。2017年は国内だけでなく、4大メジャー大会でも期待できそうだ。