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知っている?女子プロゴルファー樋口久子さんの功績とは?

2016 12/21 19:03
ゴルフ
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Photo by SOMKKU/Shutterstock.com

樋口久子さんといえば、多くのゴルフファンが知っている日本人女子プロゴルファーだ。 今回は樋口さんのゴルフ界での功績について紹介する。

樋口久子さんとゴルフの出会い

樋口久子さんは、1945年に埼玉県川越市で生まれた。幼少の頃からゴルフをしていたわけでなく、中学校までは陸上部に所属していた。そのため、足腰は一般的な女性よりも強かった。
二階堂高等学校に進学した際に、姉が働いていたゴルフ場で中村寅吉選手について知ったことで、ゴルフに興味を持った。高校卒業と同時に中村選手に師事し、ゴルフ場の練習場のスタッフとして働きながら腕を磨いていく。

プロテストの合格

樋口久子さんは、ゴルフの練習を続けていたが、当初は女子プロゴルファーという枠がなかった。1967年に第1期の女子プロテストが行われ、合格して初の女子ゴルファーの一人となった。
第1期の女子プロゴルファーの中でも頭一つ抜けた実力を持っており、翌年に開催された日本女子プロゴルフ選手権大会、女子オープン選手権を連覇するという記録を打ち立てた。破竹の勢いで結果を残す樋口選手には、多くのファンがつくことになった。

アジア人初の優勝

1977年には、全米女子プロゴルフ選手権で日本人として初めての優勝を果たした。これは、アジア人として初めての優勝でもあった。
この快挙には、世界のメディアも驚きを隠せなかった。なぜなら、そのほかのアジアの国の選手でさえ優勝したことがなかった大きな大会に、ほんの少し前までプロというものさえなかった日本の選手が優勝したのだ。無理はないだろう。
海外では、ヒサコという名前は呼びにくいので、チャコと愛称をつけられていた。

彼女にしか打つことができない打法

樋口久子選手は、なぜ全米女子選手権で優勝できたのだろうか?日本人を含むアジア人は体格が小さな選手が多く、アメリカで活躍している外国人選手に比べると腕力や体重が劣ると認識されている。飛距離なども当然差が出るのだが、樋口さんはスウェー打法という打法を生み出す。
通常、ゴルフのスイングというと、体の軸をできる限り動かさないということが鉄則となっている。体の軸がスウェーしてしまうとミスを頻発してしまうからだ。しかし、樋口さんは陸上で鍛えた足腰で、軸を移動させてもぶれない球を打つことができた。これにより、飛距離を大幅にアップさせることができたのだ。

会長就任と世界ゴルフ殿堂入り

樋口さんは、1996年に日本女子プロゴルフ協会の会長に就任した。それに伴って、競技に集中できなくなること、後継者の育成に力を入れたいということで、選手としてのゴルフ人生に幕を引いた。
世界のゴルフ界では樋口さんの功績をたたえていた。そして、これまでの功績が評価され、2003年に日本人として初めて世界ゴルフ殿堂入りを果たしたのだ。現在では、会長も退任しているが、相談役としてゴルフ界の将来のために尽力している。

まとめ

日本初の女子プロゴルファーの一人である、樋口久子選手について紹介した。 樋口選手は圧倒的な実力を持ち、日本の大きな選手権で連覇するだけでなく、全米の女子選手権で優勝を果たした。 今後も彼女が育てた選手がどんどん活躍していくのが楽しみだ。