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3度の女子ゴルフ賞金女王に輝いた大迫たつ子さんの功績とは?

2016 12/21 19:03
ゴルフ
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Photo by SOMKKU/Shutterstock.com

日本プロゴルフ殿堂入りを果たした大迫たつ子さんを知らないゴルフファンはいないのではないだろうか? 3度の賞金女王にも輝いた大迫たつ子さん。その功績を詳しく紹介したいと思う。

宮崎県出身で誕生

大迫たつ子さんは、1952年に宮崎県で生まれた。小さな頃からゴルフをプレーしており、突出した才能があったわけではないが、非常に努力家だったため、実力を伸ばしていく。
中学を卒業すると、宝塚ゴルフ倶楽部に入社して、キャディとして働きながら修業する。1971年、19歳になった時にプロゴルファーとしてデビュー。この時点で実力はかなり高く、翌年の1972年には賞金ランキングの20位までのぼり詰めていった。

樋口久子選手の10年連続賞金女王を阻止

大迫さんは女子プロゴルフの8期生として登録された。大迫さんが活躍した頃は、日本の女子プロゴルフ界の黎明期といっても過言ではなかった。
それまで無類の強さを誇っていた樋口久子選手の10年連続の賞金女王の座を、1977年に奪うことに成功した。これは、今でも語り継がれる歴史的な快挙であり、ここから大迫選手の快進撃が続いていく。
その後も、毎年トップ争いを続けながら、1980年、1987年に賞金女王に輝くのだった。

大迫さんのプロとしての魅力

樋口選手の10年連続賞金女王の座を奪ったことで、メディアは大迫さんにどんどん注目していく。それにともなって、大迫さんのファンも増えていった。最初はネームバリューで興味を持った人が多かったのだが、次第に大迫さんの実力に引き込まれていく。
大迫さんのゴルフにおける一番の強みは、プレーが安定しているということだ。成績は大きく伸び上がりはしないものの、下がることもなく、1972年のデビュー以来、1985年まで278試合連続予選通過という記録を持っている。

1989年に怪我に見舞われる

安定したプレーで記録を残してきた大迫さんだが、徐々に勢いは衰えていく。そして、1989年に左股関節を亜脱臼してしまい、ついにツアーを一時休止することになったのだ。この直前の大迫さんは足をひきずるように歩いており、見ているだけでもつらいような状況だった。
しかし、ここでゴルフをあきらめたわけではない。辛いリハビリに耐え、1990年には復活を遂げる。そして、1991年に日本の女子プロツアーで復活の優勝を果たしたのだ。

ブランクが影響して引退

奇跡の復活を遂げた大迫さんだが、怪我で戦線離脱したブランクをどうしても埋めることができなかった。そのため、1994年にプロゴルフ界からの引退を表明した。最終記録としては通算45勝を挙げており、永久シードも獲得していたため、引退は惜しまれた。
現在では、ティーチングプロとして指導を行っており、解説者として時々メディアに出ることもある。また、2016年には日本プロゴルフ殿堂入りを果たしている。

まとめ

大迫さんは、通算45勝という女子プロゴルフ界でもかなりの実力者だ。 安定したプレー姿は、多くのファンの憧れともなっており、スイングを真似する人が多くみられた。 これからも後進の育成に励んでいただきたい。