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誰もが知っている元賞金女王・不動裕理選手の功績とは!

2016 12/21 19:03
ゴルフ
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Photo by Blend Images / Shutterstock.com

かつて賞金女王を獲得したこともある不動裕理選手。 彼女はどのような道を進んで賞金女王になり、今はどのような状況なのだろうか? ゴルフ界のレジェンド的存在である不動裕理選手について紹介したいと思う。

熊本県出身

不動裕理選手は、1976年の10月14日に熊本県熊本市で生まれた。幼少期よりゴルフを始めていたのではなく、初めてゴルフに触れたのは11歳の時だった。
当時は特に優れた才能を持ち合わせた選手ではなかったが、持ち前の真面目さによって着実に実力をつけていった。
学生時代は、現在のルーテル学院の前身である九州女学院中学校、高等学校に籍を置いていた。高校を卒業した後、20歳となった1996年にプロテストに合格してプロゴルファーとなった。

新人戦での初優勝とツアー初優勝まで

1996年のプロテストに合格して、その年の12月に開催されたLPGA新人戦においてプロデビュー後初となる勝利を飾る。多くのゴルフファンは、不動選手はすぐに日本女子ツアーで優勝するだろうと期待していたが、そこからなかなか芽が出ずに苦しめられる。
そして、デビューから76戦目となった1999年の伊藤園レディースにおいて初めて優勝を果たしたのだ。最終日には同じ組だった高又順選手から「最後はしっかりとパーパットで締めなさいね」と激励されていたが、パーパットを外してしまう。もちろん優勝には変わりないが、勝利して最初の一言が高選手への「すみません!」だったというのが、不動選手の人柄がよくわかるエピソードだ。

初の賞金女王

初めてのツアー優勝によって自信と実力をつけた不動選手は、翌年の2000年には国内女子ツアーが始まって以来初となる6勝を挙げて賞金女王の座を獲得した。また、国内女子ツアーにおいて初めて年間賞金額が1億円を突破したのだ。
さらに、年間の平均ストローク数「71.4969」というツアー記録も打ち立てている。
2000年は、不動選手のプロゴルファーとしての才能がすべて開花したといえる歴史的な1年だった。

2003年に初の10勝をマーク

不動選手は、2001年に全米女子オープンに出場して12位タイという成績を達成したものの、海外選手と自分のゴルフに対する姿勢の違いを肌で感じ、もっと精進せねばとさらに努力をするようになった。
そのおかげで、2003年には誰も到達しなかった年間10勝をマークし、平均ストロークからパット数、パーオン率、リカバリー率などすべての記録を自分の名前で埋め尽くした。年間獲得賞金も1億4932万円と、国内の男子プロよりも多い賞金を獲得したのだ。
しかし、不動選手自身は、年間勝利数にはあまり執着しておらず、毎日一歩ずつ前へ進んでいった結果だと謙虚に答えていたそうだ。

偉大な通算50勝

2004年には通算30勝を達成し、史上最年少の27歳で永久シードを獲得した。さらに2005年まで快進撃を続け、2000年から6年連続の賞金女王に輝いた。なおも勢いは止まらず、2011年には驚異の通算50勝を記録する。
このような素晴らしい記録を達成した不動選手は、とにかく難しいコースに直面したときにワクワクするそうだ。どうやって攻略しようか、どのような球を打とうか、勝つというよりもコースと正面から向き合っていたから、ここまでの結果を出すことができたのかもしれない。
2012年以降は、全盛期と比べると勢いが衰え、勝利から遠ざかってしまうが、現在もプロとして活躍を続けている。

まとめ

女子プロゴルファーの中でも伝説と呼べるほどの成績を残している不動裕理選手について紹介した。 不動選手はとにかく真面目な選手であるということを、これまでの歴史から感じることができる。 最近は成績が振るわないが、また復活して新たな記録を築いてくれることを期待したい。