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国民的スター石川遼選手のゴルフ界における功績

2016 12/21 19:03
ゴルフ
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最年少プロ、そして最年少賞金王に

2008年1月、石川選手はプロ宣言を行いプロゴルファーの仲間入りをする。16歳3ヶ月の史上最年少プロの誕生だった。
この時、石川選手との契約を巡って、ゴルフ道具メーカー間では凄まじい争奪戦が繰り広げられた。結局、アマチュア時代にクラブなどの提供で支援してもらったヨネックスと契約を交わす。今までの恩に報いた形での契約だった。
プロになった後も順調に成績を残し、2008年には2勝を挙げる。翌2009年にはミズノオープン、サン・クロレラクラシック、フジサンケイクラシック、東海クラシックと勝ち星を重ね、年間4勝で最年少賞金王に輝いた。

国内10勝を経てアメリカPGAツアーへ挑戦

2009年は海外へと目を向けた年にもなった。マスターズには特別推薦で出場、全英オープンにはミズノクラシックを勝ち抜いての出場で、共に予選落ちだったが、全米プロゴルフ選手権では4日間を戦い56位タイと結果を残した。また、この年行われたプレジデンツカップにキャプテン推薦され、世界選抜のメンバーとして出場している。
2009年末にはワールドランキングも30位まで上昇して、すべてのメジャー大会に出場できる権利を手に入れる。そして、2012年の三井住友VISA太平洋マスターズで最年少で国内10勝目を飾り、翌2013年からはアメリカPGAツアーに本格参戦をすることになる。

苦難が続くアメリカでの戦い

石川選手は、アメリカのツアーでも成績は残せるだろうと誰もが思っていたが、予想に反して苦戦する。2013年シーズンは22試合に出場して、予選落ちが10回と精彩がなく、マネーランキング149位と来季のシード権も取れない状態だった。
翌2014年シーズンは少し持ち直して、トップ5が1回、トップ10が3回でマネーランキング76位。2015年シーズンは117位だった。
しかし2016年シーズンは6試合に出場しただけで腰痛のため長期離脱を余儀なくされた。幸いにも公傷制度が適用され、2017年シーズンにも試合数限定ながら出場可能だ。これからが楽しみな石川選手に大いに期待したい。

まとめ

石川遼選手の生い立ちから現在までを紹介した。 国内で順調に優勝を重ねて世界へと挑戦するが、世界の壁に跳ね返された感がある。 しかし、長期離脱の原因となった腰痛も直して、戦う準備は整った。 今後は世界を圧倒するプレーを期待したい。

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