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誰よりも高く、だれよりも強く!樋口新葉のこれまでの大会実績

2018 3/21 17:46Mimu
樋口新葉
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Ⓒゲッティイメージズ

誰よりも力強いジャンプが持ち味!

樋口新葉は、2001年1月2日生まれの17歳。現在は日本橋女学館高校に在籍している。2018年2月現在の世界ランキングは、日本人選手の中で3番目となる9位。日本スケート連盟からは、特別強化選手に指定されている。

高く力強いジャンプが何よりの持ち味だ。負けず嫌いな性格だといわれるが、誰にも負けないという気持ちが、誰よりも高く跳ぶ原動力になっているのだろうか。ステップものびやかでスピード感がある。

ノービス選手時代から全日本や海外の大会で活躍

樋口は、ノービスB時代から多くの実績を残してきた。ノービスBとは、ジュニアよりもさらに年齢が下の選手が出場するノービスクラスのなかで、9歳以上10歳以下の選手が出場する大会を指す。

本格的に競技会に出場し始めたのは、小学4年生だった2010年ごろからだ。全日本の予選大会である東京選手権ノービスBで2位に輝き、全日本ノービス選手権でも12位という成績を収めている。

小学5年生となった2011-2012年シーズンには、11歳以上12歳以下の選手が出場するノービスAの大会に出場。東京選手権ノービスAで2位に入ると、全日本ノービス選手権で3位と、前年より大きく順位を伸ばした。

さらに春にはイタリアのガルデナスプリングトロフィーに出場して優勝。海外の大会でも物おじしない大胆さは、当時から健在だったようだ。

小学校6年生に上がった2012-2013年シーズンには、アジアンオープントロフィー2位、東京選手権ノービスA優勝、全日本ノービス選手権2位、チャレンジカップ1位と、出場した大会で軒並み好成績を残した。

すでにこの当時から、同世代選手たちの中でトップの実力を持っていたようだ。全日本ジュニア選手権にも推薦出場が決定し、7位という成績を残している。

中学1年生で高難度のコンビネーションジャンプを取得

中学1年生となった2013-2014年シーズン、アジアンオープントロフィー、全日本ノービス選手権、チャレンジカップと出場した3大会で立て続けに優勝。前年度の経験が樋口に自信を与えたのか、滑るごとに凄みを増していった。

このころにはアクセル以外の3回転ジャンプをマスターしており、高難度のコンビネーションジャンプにも果敢に挑戦。全日本ノービスでは3回転ルッツ+3回転トゥーループジャンプを決め、11.36(基礎点10.10+GOE1.26)を記録している。

全日本ジュニア選手権にも2年連続で出場し、ショートでジャンプにミスが出てしまい19位と大きく出遅れた。しかしフリーで巻き返しを見せ6位、総合順位は前年より1つ下がって8位となったが、彼女が持つ底力を見せた大会でもあった。

ジュニア初年度で圧巻の成績

中学2年生となった2014-2015 シーズンから、ジュニア選手として競技会に出場。アジアンオープントロフィー優勝と幸先の良いスタートを切ると、ジュニアグランプリシリーズにも参戦。チェコ大会で2位、ドイツ大会で優勝し、初挑戦でいきなりファイナルへの出場権を獲得した。

この年の樋口は、ここからが圧巻だった。力強いジャンプとのびやかなステップ、そして優雅さが出てきたスピン、彼女の持ち味が存分に発揮され、全日本ジュニア出場3度目にして初優勝を飾る。さらにジュニアグランプリファイナルでは3位に入り、銅メダルを獲得。

招待選手として出場した全日本選手権でも、やはりのびのびとした演技を見せて3位となり、宮原知子、本郷理華とともに表彰台に上がった。

中学2年生で表彰台に上がるのは、浅田真央以来の快挙だ。世界ジュニア選手権の代表にも選出され、結果は3位。出場した大会すべてで表彰台に上がるという、飛躍の1年となった。

同世代のライバルたちも台頭

中学3年生となった2015-2016年シーズンもジュニアグランプリに参戦し、オーストラリア大会では調子が出ずに5位、クロアチア大会では2位だった。

ファイナルへの出場は逃してしまったものの、何とか立て直す。クロアチア大会での善戦で調子が戻ってきたのか、全日本ジュニアでは2連覇を達成。2年連続の出場となった全日本選手権でも2位となり、2年連続で表彰台に上がったものの、前年同様に宮原知子が優勝し、実力の差を見せつけられる形となった。

この年も世界ジュニア選手権へ派遣され、2年連続の3位。優勝は1学年下の本田真凜だった。世界大会の頂点を先に奪われ、同年代のライバル選手たちも順調に力をつけていることを実感させられる。

さまざまな経験を積んだシニア1年目

高校1年生になった2016-2017年シーズンから、シニアクラスに移行する。チャレンジャーズシリーズ・ロンバルディアトロフィーでは金を獲得するなど、この年も幸先よいスタート。
グランプリシリーズにも参戦し、フランス大会3位、NHK杯4位という成績を残した。ファイナルには出場できなかったものの、シニア1年目としては上々の成績だ。

全日本選手権にも出場し、2年連続の2位という成績を収める。しかし目の前で宮原に3連覇を達成され、悔しさの残る大会でもあった。
それでも、これまで年齢規定があって出場できなかった四大陸選手権と世界選手権に初出場し、それぞれ9位、11位の成績を収めている。

4月に出場した国別対抗戦では、ショート71.41、フリー145.30、そして総合で216.71と、自身初となる200点越えを達成。日本チームの金メダル獲得に大きく貢献した。

無念の代表落選……得意の全日本で本来の滑りが見せられず

高校2年生となった2017-2018年シーズンは、オリンピックを控えて樋口にとっても勝負の年となった。チャレンジャーズシリーズ・ロンバルディアトロフィーでは、ショート74.26、フリー143.37、総合217.63で、自己ベストを更新。しかしアリーナ・ザギトワ(ロシア)が218.46で上回り、惜しくも2位となる。

その後もグランプリシリーズに参戦し、フランス大会では3位、中国大会では2位と好調を維持。ファイナルにも出場し、6人中6位ながら状態の良さを確認することができた。

そしてオリンピックの代表選手が決まる全日本選手権。これまで樋口は、2年連続2位と相性がいい大会で代表候補の1人とされていた。代表の椅子は2つで宮原の壁は厚かったが、自分の力を出せば十分に手が届くところにあった。

しかし、ショートではミスが出てしまい4位となる。フリーで巻き返したいところだったが、公式練習中に右足首を痛めて本来の滑りができず5位、総合4位という結果に終わる。大会4連覇を達成した宮原だが、この大会絶好調だった坂本花織に代表の座を譲ることになってしまった。

負けず嫌いの樋口にとってこの結果は、非常に悔しいものだろう。最も大事な試合であり、これまでも結果を出せていた全日本選手権で本来の力を出しきれず負けてしまったからだ。

一生忘れられない日になったかもしれない。しかしこの経験をバネに、さらなる飛躍を期待したい。