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【フィギュアスケート女子】世界選手権でメダリストとなった日本人選手

2018 1/19 10:38Mimu
荒川静香
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日本人選手初の金メダリスト! 伊藤みどり

まず紹介したいのは、やはり伊藤みどりだ。彼女は、88年のカルガリー(カナダ)、92年のアルベールビル(フランス)オリンピックでの演技が有名であるが、実は世界選手権でも日本フィギュア史に残る活躍を見せている。
1989年にパリで行われた世界選手権、日本人選手どころかアジア選手としても初となる金メダルを獲得。さらに翌90年のハリファックス(カナダ)での世界選手権も2位に入っており、彼女の存在が日本フィギュア界の世界への道を切り開いたといっても過言ではない。

伊藤のジャンプは、とても高く美しい。すべてのジャンプで人を魅了させることができる選手であった。
中でも代表的なのは、トリプルアクセルだろう。88年に女子として史上初のトリプルアクセルを成功させると、89年の世界選手権でもこのジャンプを決め、金メダルを獲得した。
それまでの女子フィギュアは芸術性が重視されていたのだが、彼女の登場からジャンプがもっとも評価されるようになったほどだ。まさにフィギュア界の革命児ともいうべき存在なのである。

2000年代前半にしのぎを削りあった 村主章枝と荒川静香

2000年代前半には、村主章枝と荒川静香の2人も世界選手権でメダルを獲得している。永遠のライバル的な存在だった2人だが、世界選手権で先にメダルを獲得したのは村主だった。
2002年の長野大会で銅、2003年のワシントンD.C.大会で銅、2006年のカルガリー大会で銀と、3つのメダルを獲得。表情を上手く使った情熱的な演技は、多くの人を魅了した。

荒川もメダル数では村主には敵わないものの、やはりインパクトに残る活躍を見せている。2004年の世界選手権(ドルトムント)では、その村主を上回る金メダルを獲得し、2006年のトリノオリンピックで遂に金メダルを獲得した。
この時見せた「イナバウアー」は、流行語大賞にも選出。それだけ、彼女の演技が日本中に感動を与えたということだろう。

女子選手として初めて4回転ジャンプに成功した 安藤美姫

安藤美姫も、世界選手権で3つのメダルを獲得している。2007年の東京大会で金、2009年のロサンゼルス大会で銅、2011年のモスクワ大会で金。
メダルの数もさることながら、2度の金メダルという実績が素晴らしい。

中学3年生だった2002年のジュニアグランプリファイナル、女子選手として初めて4回転サルコウを成功させ、一躍脚光を浴びた。2003年の全日本選手権でもこのジャンプを決め、優勝を決めている。
だが4回転だけでなく、多彩なコンビネーションジャンプも彼女の大きな武器だろう。2004年NHK杯で見せた3回転ルッツ-3回転ループ-2回転トゥループは、1つのジャンプとしては歴代最高となる15.2点をたたき出している。
妖艶な演技に加え、この力強いジャンプが魅力的な選手であった。

代名詞のトリプルアクセルで5度のメダルに輝いた 浅田真央

この世界選手権でもっとも実績を残したのが浅田真央だ。2007年、高校1年生の時に初めて表彰台に上がると、以降これを含めて日本人としては5度のメダル。
そしてそのうち3度は金メダルを獲得している。成績をまとめると以下の通りとなる。

 

  • 2007年 東京:銀
  • 2008年 ヨーテボリ:金
  • 2010年 トリノ:金
  • 2013年 ロンドン:銅
  • 2014年 さいたま:金

 

得意技のトリプルアクセルは、もはや彼女の代名詞ともなった。世界一のジャンプを武器に、長い間、世界を代表するトップスケーターに君臨。
また、年々経験を積むごとに演技に柔らかさが増し、いつしか彼女のスケートは芸術のような魅力を帯びていった。2014年のソチオリンピック以降はたびたび去就が注目されていたが、2017年4月に引退を発表。
後輩たちに後を託し、プロスケーターに転向した。

今後のフィギュア界を担う 宮原知子

近年の大会でメダルを獲得したのが、宮原知子である。2015年の世界選手権で銀メダルを獲得したときは、まだ17歳。
とうとう浅田真央に次ぐ次世代選手が登場したことに、世間は大いに沸きあがった。翌年の世界選手権でも、宮原は5位の成績を収めている。

抜群の安定感を誇り、常にミスなくプログラムを終える。しかも、決して簡単な演技はしているというわけではない。
ほとんどのジャンプを3回転以上で飛ぶことができるうえ、コンビネーションジャンプも難易度が高いものを組み込んでいる。スピンも毎回加点がつくほどの出来栄えだ。
ハイレベルな演技と安定感を見事に両立させているのが、宮原最大の特徴である。毎回あまりにも正確な演技を見せるため、いつしか「ミス・パーフェクト」という異名がついたほどだ。

だが2017年の1月に左股関節疲労骨折が判明。スケーターにとっては致命的な個所のケガとなってしまった。
それでも懸命のリハビリを経て、10月から復帰。当初は調子が上がらなかったものの、12月の全日本選手権では以前のような完璧な演技を見せ、見事に優勝をはたした。
この時の滑りは、怪我をする前よりもさらに力強くなっていた印象だ。また、この日本選手権での優勝を受け、平昌オリンピックの代表にも選出。今もっとも期待できるスケーターである。