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フィギュアスケート界で起きた奇跡的な出来事5選

2017 4/25 21:52茶色野うさぎ
フィギュアスケート
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Photo by vlad09/Shutterstock.com

フィギュアスケートは技術だけでなく、芸術点や感情表現なども評価される難しい競技だ。そんな難しい競技に挑む才能豊かな選手たちが起こしてきた奇跡のような出来事を5つピックアップして紹介していく。

肩を脱臼しても続けた奇跡の演技

2006年のトリノ五輪で見事金メダルに輝いた荒川静香さん。そこから遡(さかのぼ)ること3年、2003年の世界選手権でその出来事はおこった。ショートプログラムの演技で最後のスピンに入る直前、何気ないスケーティングで荒川さんは転倒してしまう。
前の選手の演技時にできていた溝に、スケートの刃が引っかかってしまったのだが、このとき肩を脱臼してしましまう。しかし、印象が悪くなると考えた荒川さんは、立ち上がるとすぐにスピンにはいり、回転の遠心力で肩を外してはめ直すという荒ワザで立て直し、最後まで演じ切ってしまうのだ。
翌日のフリーも滑り切り、見事8位入賞を果たしている。

奇跡のような天才少女あらわる

天才少女としてフィギュアスケートの表舞台に登場した浅田真央さんは、まさに奇跡のような存在だった。
小学6年生で特例によりシニアの全日本選手権に出場すると大人でもできないようなジャンプのコンビネーションを見せて、7位入賞を果たす。14歳で出場したシニアの全日本選手権で安藤美姫さんに次ぐ2位に入ると、15歳で迎えた2005年シーズンでGPシリーズ中国杯で2位に入り、その年のGPファイナルに初出場初優勝という快挙を成し遂げる。
2006年トリノ五輪出場を期待する声も高まるが、年齢が87日足りずに出場権を与えられないというドラマも生まれた。

絶不調の中で演じた奇跡のスケーティング

天才少女として現れた浅田真央さんだったが、ケガやメンタル的な問題を抱えて、その後は好不調の波が大きくなっていった。2011年には東日本大震災や母親の死などを経験し胸を痛めるが、その年の全日本選手権では優勝、復活を印象付けた。
そして引退を口にして臨(のぞ)んだ2014年ソチ五輪、浅田さんはショートプログラムでまさかの大崩れをし、16位に沈む。インタビューでも放心状態の浅田さんの状態に絶望感が漂った。
しかし、翌日のフリーでは自己ベストを更新する圧巻の演技を披露。世界中のファンが涙したこの奇跡の演技は伝説になっている。

流血した王子様の奇跡の演技

抜群のルックスと世界最高レベルのスケーティングで、「存在自体が奇跡」のような羽生結弦選手。王子様として崇拝するファンも多いだが、そんな彼に事故がおこる。
2014年11月のGPシリーズ中国杯、ショートプログラムで2位につけて臨んだフリーの6分間練習で中国のエンカン選手と激しく衝突、首と頭から流血してしまう。脳震盪の可能性もあり出場が危ぶまれるが、頭に包帯を巻いての出場を決断する。
痛々しい血の跡がみられる中でプログラムを演じ切り、見事に銀メダルを獲得した。羽生選手の意地が生み出した奇跡といえるだろう。

ギネスも公認、完璧な演技をさらに上回る奇跡の演技

最後に取り上げたいのはギネスブックにも取り上げられた、羽生結弦選手のトータル300点越えを達成した演技だ。
2015年11月のNHK杯で挑戦意欲にかられた羽生選手は自己最高難度のプログラムに急きょ変更して挑み、完ぺきな演技を披露する。そしてショート106.33点、フリー216.07点、トータル322.40点という、驚異的な歴代最高得点をたたき出してしまう。
しかし、奇跡はこの翌月に起きた。2週間後のGPファイナルでは、完璧と思われたNHK杯を越える完ぺきな演技を披露してショート110.95点、フリー219.48点、トータル330.43点の得点を獲得、自らの世界記録を更新して見せた。この奇跡のような記録はギネスにも公認された。

まとめ

フィギュアスケートの世界で語り継がれる奇跡のような出来事を5つピックアップした。しかし、これらは奇跡ではない。選手たちの天性の才能と並外れた努力、そして最後まで諦めない闘志で感動を与えてくれていることが、我々の目に奇跡と映るのである。これからもそんな「感動」という奇跡を与えてくれる選手たちを応援していきたい。