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エヴァン・ライサチェクの功績を振り返る

2016 10/19 19:05
Lysacek
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Photo by Diego Barbieri / Shutterstock.com

2010年バンクーバーオリンピックで金メダルを獲得し一躍話題になったエヴァン・ライサチェク。 彼の演技やその内容など、聞いてみたいことも、たくさんあるだろう。 ここでは、彼のその功績を振り返ってみたいと思う。

デビューまでの生い立ち

エヴァン・ライサチェクは、1985年6月4日アメリカのシカゴに生まれる。イタリア人とチェコ人の血を引いており、敬虔(けいけん)な正教徒でもある。アイスダンスのファンだった祖母の影響でフィギュアスケートを始めたのは8歳の時。1996年の全米ジュニア選手権ジュブナイルクラスでの優勝を皮切りに競技会で活躍していく。13歳の時に臨んだ1999年の世界ジュニア選手権では優勝、翌年の2000年の全米ジュニア選手権のジュニアクラスでも優勝に輝いた。

相次ぐ怪我に見舞われたジュニア時代

国際大会でも好成績を収めていくが、シーズン中にろっ骨を骨折するなど怪我に見舞われた。さらに2001年のアメリカ同時多発テロの影響は甚大で、ジュニアグランプリフェニックスの開催と所属選手のジュニアグランプリ派遣が中止になった。
これらはモチベーション低下の大きな要因となり、全米選手権では12位、世界ジュニア選手権の代表にも選出されなかった。怪我の影響で十分に練習ができなかったというのもあり、まさに苦難続きのジュニア時代と言えるだろう。

オリンピックへの道

その後食事やトレーニングの見直しから、本格的に立て直しを図った。その甲斐もあって2002年、2003年、2004年とジュニアグランプリでは3回とも銀メダルを獲得。2003年の四大陸選手権はシニア大会で初のメダルである胴メダルを獲得している。2004年からはシニアに移行し、2006年のトリノオリンピック出場枠を獲得し着実に実績を積んでいく。
しかし臀部の怪我により棄権せざるを得ない場面があるなど、やはり体調面で不安がのこるまま初めてのオリンピックへ挑戦することになる。

体調不良と闘いながらのオリンピック出場

迎えた2006年のトリノオリンピックではウイルス性胃腸炎にかかり、点滴を受けフリーの演技に臨んだ。体調不良で転倒が続いたショートプログラムは16位からのスタートだったが8つの3回転ジャンプを成功させた。惜しくもメダルには届かなかったが、4位入賞と大健闘した。
体調不良が続く中、2006-2007年シーズンの全米選手権ではショート、フリー共に大きなミスもなく4回転-3回転コンビネーションジャンプを成功させ初優勝を果たした。観客もスタンディングオベーションでたたえ、次のバンクーバーオリンピックでのメダル獲得に期待がかかった。

悲願のメダル獲得と現在

しかしその後も転倒による怪我が原因で大会を欠場したりと不調が続くが2009-2010シーズンは持ち直し、グランプリファイナルで初優勝を飾り五輪出場枠を勝ち取ったライサチェク選手。バンクーバーオリンピックでは見事金メダルを獲得。アメリカのフィギュアスケート男子シングルとしては実に22年ぶりの金メダルとなった。
五輪の後は世界選手権を欠場し、2014年のソチオリンピックでは出場を辞退している。本人の引退を示唆する発言はあったが公式発表はまだない。競技会には出場していないものの、アイスダンスやテレビの仕事など精力的に活動している。

まとめ

いまだ現役選手として進退が公式発表されていないが、長身を活かしたダイナミックで優雅な演技をぜひまた観たい。