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表現力に優れたサーシャ・コーエンの功績

2016 10/19 19:05
Sasha Cohen
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Photo by Joseph Sohm / Shutterstock.com

レイバックスピンやスパイラルなど高い技術に支えられた、表現力が素晴らしいサーシャ・コーエン選手。時折見せるキュートな表情が印象的でもある、サーシャ・コーエンの魅了を知りたい方へ、生い立ちや功績などを紹介する。

母親の影響を受けバレエと体操を始めたサーシャ

サーシャはアメリカ合衆国のカリフォルニア州、ロサンゼルス出身のフィギュア選手で、ミドルネームも含めるた正式な名はアレクサンドラ・ポーリーン・コーエン(Alexandra Pauline Cohen)だ。
父親はユダヤ系アメリカ人のロジャー・コーエンで、弁護士と経営コンサルタントをしている。母親のガリーナ・フェルドマンは元バレエダンサーでウクライナ出身となっている。1984年10月26日に生まれたサーシャは、母親の影響で幼い頃からバレエと体操を習い始める。

早くも代表に選ばれたサーシャだったが

サーシャが7歳になったときにフィギュアスケートを新たに始め、世界選手権も制覇したことのある、コーチのジョン・ニックスに指導を受ける。彼女自身がもともと持っていた才能と、幼い頃からやっていた基礎となるバレエの技術などもあり、フィギュアスケートでも実力を開花させる。
しかし早くも代表に選ばれたソルトレイクシティのオリンピックでは、ショートこそ3位に着けたが、フリーでジャンプに失敗し総合4位入賞となった。

背中のケガからの復帰を果たしたサーシャ

ソルトレイクシティオリンピックでは4位に終わったサーシャだったが、努力を重ね2002?2003年シーズンのISUグランプリシリーズで2連勝、出場資格を得たグランプリファイナルでは見事に優勝した。
翌年の世界選手権では2位に入り、この年のISUグランプリシリーズでの活躍が期待されたサーシャだったが、惜しくも背中のケガで全ての大会を欠場することになってしまう。しかし落ち込むことなく、懸命のリハビリと練習を続け復帰を果たし、全米選手権と世界選手権で2位を獲得した。

トリノ・オリンピックで銀メダルを獲得したサーシャ

復帰を期待されたISUグランプリシリーズだったが、初戦は臀部(でんぶ)のケガによって欠場を余儀なくされる。しかし、次戦となったエリック・ボンパール杯では2位を獲得。続く2006年に行われた全米選手権では初優勝を飾る。全米選手権はインフルエンザで体調を崩していたが、持ち前の気力で乗り切りうれしい結果となった。
そして、この優勝を受け2006年に開催されるトリノ・オリンピックに、アメリカ代表として選出された。迎えたトリノ・オリンピックではショートでトップに立ち、フリーに挑んだがジャンプで大きくミス、しかしその他は素晴らしい演技を決めて荒川静香選手に続く2位となった。

オリンピックの夢は断たれたが新たな幸せが訪れたサーシャ

トリノ・オリンピックの後、カナダのカルガリーで行われた世界選手権で3位に入ったが、それ以降は主要競技会には参加しなかった。2010年に開催されるバンクーバー・オリンピックに出場するため復帰を決意するも、足のケガによってISUグランプリシリーズを断念し、なんとか出場した全米選手権でも4位となり、アメリカ代表には選ばれなかった。
その後、フィギュアから遠ざかっていた2015年7月6日に、トミー・メイさんからプロポーズを受け結婚し、現在も幸せな家庭を築いている。

まとめ

表現力が魅力的だったサーシャ・コーエンの生い立ちと軌跡を紹介した。キュートな笑顔と表情がチャーミングだったサーシャは、きっと幸せな家庭を今後も築いていくことだろう。