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フィギュアスケーター"アデリナ・ソトニコワ"の功績とは

2016 10/19 19:05
オリンピック メダル
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Photo by Olga Besnard / Shutterstock.com

女子シングルで活躍したアデリナ・ソトニコワについて知りたいと思ったことはないだろうか? オリンピックでもロシア女子として初の金メダルを獲得した彼女の功績を紹介する。

アデリナ・ソトニコワの生い立ち

1996年にモスクワに生まれ、6歳で近所のリンクでスケートを始めた。翌年には名門クラブと言われるモスクワ中央陸軍スポーツクラブ(CSKAモスクワ)にうつった。期待の星で、2008年には12歳の若さでロシアフィギュアスケート選手権で優勝を果たした。
彼女の性格は、2歳下の妹がつらい状況と戦う強さを見ていて形成されたと語り、すべての人々に感謝の気持ちをコメントしていた。また、日本選手にも友好的で、度々日本選手について好意的なコメントや、写真撮影もしている。2013年には将来はコーチになるために、ロシアの体育大学に進学している。

2010?2011シーズンで名をとどろかせたソトニコワ

2010‐2011シーズンでジュニアデビューしたジュニアグランプリでは、2位以下に10点以上の差をつけて優勝。当時、女子では3回転ルッツ?3回転ループのコンビネーションは安藤美姫とイリーナ・スルツカヤしかできなかったのだが、そこにソトニコワが成功させた。
その後も活躍し、ジュニアグランプリファイナルに出場を決め、ファイナルではショートプログラム、フリースケーティングとも1位になり、完全優勝を果たした。その後開催された、ロシアフィギュアスケート選手権、2011年世界ジュニアフィギュアスケート選手権でも優勝し、このシーズンはすべて優勝という輝かしい成績を残した。

ソトニコワのすごさは2014年のソチオリンピックで発揮!

ソトニコワのインタビューで、夢は祖国で開催されるソチオリンピックで金メダルを取ること、と語っていた言葉を実行できた。しかもロシア女子では初のオリンピック金メダルだった。
オリンピック前の成績は不調な大会もあったが、ソチ五輪ではショートプログラムで2位だったにもかかわらず、フリースケーティングでは高得点をたたきだし、逆転優勝!念願の金メダルを獲得した。この試合では結果に納得いかない韓国よりISUに提訴があったが、ISUは問題はなかったとし、訴えを退け、韓国ではメディアによる個人攻撃もあったが、ソトニコワは騒動について理解を示して寛大さもうかがえた。

その後のソトニコワ

2014?2015シーズンでは練習中の着氷時に転倒し、靭帯断裂という大きなアクシデントに見舞われた。その後のシーズンの大会をすべて欠場し、一時は引退もささやかれたが、ダンシング・ウィズ・ザ・スターズというロシアの社交ダンスの勝ち抜き番組に出演し、2位に入賞する程の多才ぶりを発揮し、怪我も回復した様子だ。
2015?2016シーズンから本格的に試合復帰し、銀・銅メダルを獲得するまでに。まだ若い選手のため、今後の活躍にも期待したい。

まとめ

怪我に苦しめられるなど、苦労も多いソトニコワだが、まだまだこれからの活躍が期待できる選手だ。 また熱い戦いを観られるのが楽しみである。