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人気絶大!高橋大輔の偉大なる功績とは?

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by Iurii Osadchi / Shutterstock.com

フィギュアスケートファンの方は、色々な選手のことを知りたいだろう。今回は高橋大輔氏の功績を紹介する。

高橋大輔がプロになるまでの生い立ち

高橋大輔氏は、岡山県倉敷市が出身地のプロスケーターだ。4人兄弟の末っ子として生まれ、フィギュアスケートに出合うまでにさまざまなスポーツに挑戦した。しかし、どのスポーツも長続きすることがなく、8歳のときにフィギュアスケートを始めて、その魅力にとりつかれた。お年玉の全額をフィギュアスケートに使うほど、夢中になったそうだ。その後、「全国有望新人発掘合宿」で有名コーチの指導を受けて、高橋大輔氏はプロとして活躍するようになる。

フィギュア男子の先駆者、高橋大輔

プロとして初めて試合を行ったのは、1999年の「トリグラフトロフィー」だった。人生初の国際大会でありながら、見事優勝を果たした。その後、2002年の「世界ジュニアフィギュアスケート選手権」に出場して、男子初の優勝を決めた。
この頃から高橋大輔氏の知名度が上がり、フィギュアスケートファンの中でも注目を浴びていた。2010年のバンクーバーオリンピックでは、日本人初の銅メダルを獲得した。2010年の世界選手権でも、アジア史上初の世界チャンピオンとして、名前を轟かせた。

歴史に残る数々の功績

いくつもの男子初優勝を成し遂げた高橋大輔氏は、かなり多く試合をこなしてきた。「全日本選手権」では、2001?2014年の12回連続の大会出場をした。そのうち5回も優勝しているので、高橋大輔氏の実力は安定していたと言えるだろう。「GPNHK杯」では、2005?2014年の8回連続出場を果たした。「GPNHK杯」の優勝回数も5回であり、優秀な成績を収めた。そのほか、「四大陸選手権」や「世界国別対抗戦」にも出場した。

引退後はメディアで活躍する、高橋大輔

高橋大輔氏は、1999?2014年までフィギュアスケート界の選手として活躍していた。28歳で引退表明をして、プロスケーターとして活動する日々を送ることになる。引退後の高橋大輔氏の知名度もとても高く、CMに起用されることが多くなった。栄養ドリンクやビールのCM、生命保険会社のCMなど、幅広く出演した。フィギュアスケートへの思いを伝えた、書籍やCD・DVDも発売された。高橋大輔氏の人生観が、多くの人に感動を与えている。

今後は舞台やキャスターで功績を

メディアだけではなく、舞台でのゲストダンサーとしても活躍している。2016年6?7月に行われた「LOVE ON THE FLOOR」で、引退後初めてゲストダンサーとして演技を披露した。今後も、舞台で演技する場面が多くなるだろう。キャスターとして、テレビに出演する機会も多くなった。日本テレビのニュース番組では、2016年4月から月1回のキャスターに選ばれた。2016年のリオデジャネイロオリンピックも、フジテレビで中継キャスターを務めている。

まとめ

高橋大輔氏の活躍は、フィギュア男子を盛り上げて、多くの方に感動を与えた。今後も、舞台やテレビでの活躍に期待しよう。