「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

元フィギュアスケート選手・鈴木明子さんの功績

2016 10/4 00:52
フィギュア
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by testing/ Shutterstock.com

フィギュアスケート選手として活躍した鈴木明子さんは、たくさんの人に支持されている。知っておきたい鈴木明子さんの功績を紹介する。

鈴木明子さんの生い立ち

まず鈴木明子さんの生い立ちから始めよう。彼女は1985年3月28日に愛知県豊橋市で生まれる。愛知県は実はフィギュアスケート王国で古くは伊藤みどりさんから安藤美姫選手、浅田真央選手など多くの有名選手を輩出している。
鈴木明子さんもそんな愛知県で6歳からフィギュアスケートを始めて、めきめきと頭角を現す。名古屋を拠点として活動しながら、仙台での夏合宿に毎年参加するなど精力的に練習を重ねて実力をつけ、スケーティングやエッジワークで高い評価を受ける選手へと成長していく。

鈴木明子さんがぶつかった壁

その後、彼女は中学1年で全日本フィギュアのノービスクラスで3位、高校一年の時には全日本フィギュアのジュニアクラスで2位、全日本選手権で4位など活躍をつづけ、ジュニア特別強化選手に指定される。ジュニア時代には表現力も磨かれ周囲の期待も高まる一方だったが、大学進学してから壁にぶつかる。
大学進学とともに始めた一人暮らしのストレスや、完璧さを追い求める性格から摂食障害に陥ってしまうのだ。彼女の場合は拒食症として症状があらわれ、体重も32kgまで落ち競技会に参加できない時期を経験している。

壁を乗り越えて活躍した鈴木明子さん

競技会に出られなかったことで強化指定選手も解除されてしまうが、お母さんとのやり取りを経て摂食障害を乗り越える。競技にも復帰して2006-2007シーズンには見事にユニバーシアード冬季大会にて優勝し、復活を果たす。翌年には社会人として歩みを始めシニアの大会に出場、いろいろな大会で実力を発揮して上位の成績を収め始める。
そして24歳の2009-2010シーズン、中国GPでグランプリシリーズ初優勝、全日本では浅田真央選手に次いで2位となりバンクーバーオリンピックの代表に選出される。

いろいろな人に勇気を与えた鈴木明子さん

摂食障害を乗り越え、24歳でオリンピック初出場を果たした彼女はその後も浅田真央選手や、イタリアのコストナー選手などトップ選手と上位争いを演じる。そして28歳で迎えた2013-2014シーズン、全日本選手権で優勝しソチオリンピックの代表の座をつかみ取る。この優勝と代表選出の二つは日本女子の最年長記録となっている。
若年化が進むフィギュアスケートの中では、鈴木明子さんの活躍は異例といってもいいほどの特別なものとして歴史に刻まれている。こうした彼女の生き方は多くの女性たちに対して勇気を与え、たくさんの支持を受ける理由になっている。

鈴木明子さんのその後

そんな鈴木明子さんだが29歳で迎えた2014年3月の世界選手権を最後に現役を引退した。その後はプロスケーターとしての活動をしながら、スケートやスポーツに関連したテレビ番組などに出演するなど、活躍の幅を広げている。印象的な瞳をもつ彼女をテレビで見かけた方も多いのではないだろうか?
それだけでなく、2015-2016シーズンにはフィギュアスケートの若手選手である本郷理華選手のショートプログラムの振り付けを担当、振り付け師としても活動を始めている。

まとめ

元フィギュアスケート選手の鈴木明子さんの功績をまとめてみた。摂食障害に陥りながらも、あきらめずに結果を出した鈴木明子さんの生き方には心を打たれる。