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氷上の女優(アクトレス)と云われた村主章枝さんの功績について

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by Olga Besnard/ Shutterstock.com

氷上で華麗に演じ続けた村主章枝さんの功績を知りたい方もいると思う。
詳しく紹介していく。

村主章枝の生い立ちとフィギュアスケート

パイロットの父と客室乗務員の母、妹の4人家族で、3歳から5歳までをアラスカ州アンカレッジで過ごした。その時に親しんだウインタースポーツがもとで、日本に帰国した後、清泉小学校に入学してフィギュアスケートを本格的に始めた。また、清泉小学校から、清泉女学院中学校、高等学校へと進み、早稲田大学教育学部を卒業している。
この早稲田大学の時に、プロフィギュアスケーター佐藤有香の父でもある、佐藤信夫コーチと出会い8年間に渡り師事する。その後、二度のオリンピック出場を果たし、三度目を目標としていたが果たせず、33歳で現役を引退した。

村主章枝の成績について

6歳で本格的にはじめて、小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場、中学1年生では国際大会にも始めて出場した。中学3年生で全日本ジュニア選手権では2位になり、初の表彰台にあがり、世界ジュニア選手権でも初出場で4位に入賞し、高校1年生では、全日本女王に輝くと順調に競技人生を重ねていった。
2000-2001シーズンでは、全日本選手権で3季ぶり2度目の優勝、四大陸選手権では初優勝を果たした。初出場のソルトレイクシティオリンピックでは、5位入賞、世界選手権では、総合3位となり銅メダルを獲得した。そして、二度目のオリンビックのトリノオリンピックでは総合で4位入賞となった。

村主章枝の傷だらけの戦いの記録

1997-1998シーズンの全日本選手権の直前には左座骨を打撲したが、総合2位になった。2005年には、以前から痛めていた右股関節が悪化してトリノオリンピック代表入りは絶望的だったが、NHK杯ではフリー1位、総合2位となった。五輪最終選考会の全日本選手権ではノーミスの演技でフリー1位となり、3年ぶり5度目の優勝をした。その結果、大逆転でトリノオリンピック出場を決めた。
2008年の世界選手権でも練習中に負傷したが、痛み止めを飲んで出場して総合で8位になった。怪我の多い競技人生だが、そのたびに乗り越えてきた。

村主章枝の魅力と今後について

豊かな表現力から「氷上の女優(アクトレス)」と言われてきた村主章枝さんは、もともとは、体が硬く、フィギュアスケーターとして身体能力が恵まれていなかったからこそ、見ている観客に、何を表現して何を伝えるのかということを一番に考えて演技をした選手だ。顔の表情から、指先、足先まですべてを使って表現をしていた。また、スケートにスピード感があり、軽やかにステップを踏み、高速スピンでは観客を魅了していた。
現在、フィギュアスケートの振付師を目指しているそうだので、今後、後輩達の振り付けをしながら、氷上にたつ村主章枝さんの姿が楽しみだ。

まとめ

氷上の女優(アクトレス)と言われる村主章枝さんを知れば知るほど、フィギュアスケートを愛し、観客に表現をし、伝える力の強い選手だったということがわかる。今後、村主章枝さんの振り付けで、表現を武器にしてくる選手が出てくることを楽しみにしている。