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日本ボクシング界のレジェンド、ファイティング原田の功績

2016 10/24 19:31
ボクシング
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ボクシング人気を支えたファイティング原田

アメリカのボクシング雑誌で「狂った風車」という異名を付けられるほど、印象的なラッシュで戦うファイティング原田は、ボクシング人気を支える存在でもあった。
1965年11月のアラン・ラドキン(イギリス)との初防衛戦では視聴率60.4%、1966年5月のエデル・ジョフレとの再戦となった2度目の防衛戦では視聴率63.7%と、驚異的な数字をたたき出した。 他にもタイトルマッチで視聴率50%超えを4試合も記録しており、日本のテレビ史上に名前を刻む存在になっている。

減量のエピソードもかっこいいファイティング原田

ファイティング原田は体重が増えやすい体質だったこともあり、減量との戦いもかなり大変だった。そのため、フライ級でデビューした後はバンタム級、フェザー級と階級を上げていくしかなかった。
試合が近づき減量が始まると、原田が水を飲めないようにするため、ジムの水道の蛇口はすべて針金で固定されるという徹底した管理が行われた。トイレの水すら飲みたくなるような減量地獄を乗り越え、スーパースターは戦い続けた。ちなみに、このエピソードは漫画『あしたのジョー』の力石徹の減量シーンで採用されている。

ファイティング原田の引退後

国内では東日本フライ級新人王、全日本フライ級新人王に輝き、世界タイトルは世界フライ級王座、世界バンタム級王座を獲得したが、減量に苦しみ、1968年に王座陥落。フェザー級に転向するが、1970年1月の試合を最後に引退する。
引退後はファイティング原田ジムの会長を務めながら、第10代日本プロボクシング協会の会長に就任。現在は顧問という立場についている。ボクシング解説でも人気だが、世界的な評価も高く、世界ボクシング殿堂入りも果たした。

まとめ

日本ボクシング界のレジェンド、ファイティング原田の功績を紹介してきた。 ボクシングの解説などで人気だが、現役時代は日本中が熱狂するスーパースターだったのだ。

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