日本バスケ界初の1億円プレイヤー誕生
男子日本バスケットボール界から、初の1億円プレイヤーが誕生した。バスケットボールの選手と言えば、長身を連想させるが、誕生したのは身長167cmの司令塔、千葉ジェッツ#2富樫勇樹だ。野球界では落合博満氏、サッカーでは三浦知良(横浜FC)が日本人初の1億円プレイヤーになっている。
富樫はバスケットボールの選手としては小柄だが、大柄な選手に対しても持ち前のスピードで圧倒して、厳しい体勢でもシュートをきっちり決めていく。今や日本を代表するポイントガードに成長した。
1億円プレイヤーの誕生は、Bリーグの念願だった。2020-21シーズン達成目標として、“入場者数300万人”、“バスケ市場規模300億円”を示していて、世界に通用する選手やチームの輩出を担う上で、“1億円プレイヤーの出現”を掲げていた。富樫の1億円プレイヤー達成については、想定より2シーズン早く実現することとなった。
「決して寄せ集めではない。リーグ・クラブの収益から必然的に1億円プレイヤーが生まれた」
大河正明チェアマンはそう語る。実際、2015-16シーズン(Bリーグ創設前のNBL・bjリーグ時代)のリーグ収益は8億円だったが、2018-19シーズンは6倍超の50億円。クラブ全体の収益は、2015-16シーズンの83億円から、2018-19シーズンは約2.5倍超の215億円と増加している。そのクラブ収益のうち、千葉は13人の選手で17億円の収益をあげている。
Ⓒマンティー・チダ
千葉・島田慎二社長は、富樫が1億円プレイヤーになった背景として、大きく3つのポイントを示した。
1.ビジネス面:18-19シーズンは17億円を突破したことを明かし、チケットやグッズ面で突出して貢献度が高かった
2.競技面:東地区2連覇をシーズン最高勝率で勝ち上がり、天皇杯3連覇を達成。さらに、日本代表のスタメンポイントガードとして、ワールドカップ本戦出場、東京五輪開催国枠出場に貢献
3.メディア面:富樫が活躍することで、メディアに大きく取り上げられ、千葉のスポンサー価値が高くなった。観客も増加し、チームの露出に貢献
こうして並べてみると、富樫の多方面にわたる活躍を抜きにしては、チームの成長は無かったと考えたのは言うまでもないだろう。
秋田入団時は半年契約で100万円
米国で高校生活を過ごしていた富樫は、大学進学を断念し、日本に帰国。そして、アーリーエントリー制度を利用して、bjリーグ秋田ノーザンハピネッツに入団した。
「当時は半年契約で100万円だった」
そう話す富樫。そしてその秋田で2年目となった2013-14シーズンは、“富樫のチーム”と明言した当時の中村和雄HC、田口成浩(千葉)らと共に、ファイナル進出を果たしたが、残念ながら優勝には手が届かなかった。
シーズンが終わると、富樫はNBAサマーリーグ挑戦の為、米国に渡った。
ダラス・マーベリックスのサマーキャンプを経て、サマーリーグ出場を富樫は果たした。ここで最終キャンプまで進んだが、契約となったのはマーベリックス傘下のテキサス・レジェンスだった。足首の捻挫で戦列を離れるまで、25試合に出場し平均得点2.0を記録した。
2015-16シーズンに入ると、富樫はイタリア・セリエAのディナモ・サッサリとプレシーズン契約を結んだが、正式契約には至らず、日本に帰国する。
Ⓒマンティー・チダ
帰国後の2015年9月、富樫は千葉ジェッツと契約合意。しかし、入団がシーズン開幕直前だったこともあり、出場機会は限られたものだった。
そして、Bリーグ元年となった2016-17シーズン。大野篤史HCが新たに就任し“激しい守備から走るバスケ”を掲げ、そのキーマンに富樫の名前を挙げた。そこから千葉は、富樫の成長と共にチームも好成績をあげ、天皇杯3連覇、リーグのレギュラーシーズン最高勝率を達成する。
「これからは今まで以上に社会貢献をしていきたい」
「正直言って、1億円プレイヤーになるなんて、秋田入団時には夢にも思っていなかった」
秋田ノーザンハピネッツを経て、千葉ジェッツで7シーズン目を終えた時に、1億円プレイヤーとなった富樫はそう語る。
最初に島田社長から2019-20シーズンの契約について話をもちかけられたのは、シーズン中に二人で行った食事の時だった。
「まだシーズン中だったので、1回でOKと言わず、シーズンを終えてから返事をすることにした。契約書にサインをしたときは、不思議な気持ちだったが、それよりも記者会見を開くというのが、大きな決断だった」
続けて、“子どもたちや学生の応援が多い”と認識している富樫は今後の目標を語った。
「ここまで来るのに、周りの人たちに恵まれたのもある。今まで教わったコーチには感謝しかない。これからは、今まで以上に社会貢献をしたい。子どもたちに応援をしてもらっていると思うので、小中学生に対してはしっかりやりたい。新潟県出身なので、地元に何かできれば」
そして、記者会見終了後に、富樫は自らマイクを持った。
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「この後NBAのドラフトが控えている。八村塁選手が上位で指名されるのではないかと。もし指名となれば、今日以上の話になるので、メディアのみなさんにはもっと盛り上げてほしい」
NBAの舞台を肌で知っているからこそ、ドラフト上位で指名が予想される八村塁の快挙がどれほどすごいことか、富樫が一番理解しているのかもしれない。記者会見という場で、語った富樫の決意と願いは、これからの日本バスケットボール界にとって、八村の歴史的快挙と共に、今後も語り継がれることになるだろう。