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【Bリーグ】彗星のごとく現れた岡田侑大 生粋のスコアラーの可能性

2019 3/24 15:00SPAIA編集部
バスケットボール,ⒸSPAIA
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強豪を倒すため、あえて2番手の高校に

拓殖大を中退し、シーホース三河入りした#30岡田侑大。弱冠二十歳の若者が、Bリーグの舞台で素晴らしいパフォーマンスを見せている。

初めはレベルの違いに慣れるため出場時間が短かったが、今では#14金丸晃輔と並んで三河の日本人スコアラーの両翼に。中学時代から有望だったが、いわゆる“エリート街道”を歩いてきた選手ではない。

当時、府内で無敵と言われていた洛南高校には進まず、ジュニオールスターでともに戦った選手たちと「洛南を倒す」ため、2番手の東山高校に進学。1年時は洛南の壁を崩せなかったが2年時にはインターハイ予選で洛南を破り、インターハイ本戦でもベスト4に。

ここで初めて全国の舞台で脚光を浴びることになった岡田。3年時はキャプテン&エースとして、インターハイとウインターカップで準優勝、国体優勝と輝かしい成績を残した。

無口でポーカーフェイスながらも内に秘めた並々ならぬ闘志が見え隠れし、スコアリング能力の高さは超高校級。アンダーカテゴリーの代表には選ばれなかったが、年代のベストプレーヤーの一人という位置付けに異論はなかった。

「早くプロを経験したい」リスクを負ってBリーグへ

拓殖大に入っても勢いは続き、関東大学リーグではチームの31年ぶりの優勝に大きく貢献。そして1年生ながら優秀選手賞を受賞し、2年時には関東大学新人戦で優勝へ導いた。日本一こそ取れなかったが、2年生の半ばにして多くのタイトルを獲得したのだ。

そんな中、気持ちは「大学で日本一を取りたい」から「早くプロでプレーしたい」に変わっていく。20歳でのBリーグ入りには、大きなケガや将来性など多くのリスクがあった。だが、プロへの熱い思いが先行した岡田は拓殖大を中退し、強豪クラブの門を叩くことに。11月15日、三河へ加入した。

ところが、すぐに活躍できるほどプロの世界は甘くない。元々の課題だったフィジカルの差が大学時以上に大きくなり、セットプレーが多い三河のスタイルに慣れるのにも時間を要した。その結果、勝敗が決した後に出場機会を与えられることが多くなり、試合を通してベンチを温めることもあった。

課題の克服がエース級の活躍の要因

そんな岡田だが、新年を迎えてからの活躍がすさまじかった。

1月23日の三遠ネオフェニックス戦でキャリア初の2桁得点を記録すると、その後は持ち前のスコアリング能力が火を吹き、15、23、16、11と4試合連続で2桁得点。キャリアが長い日本人選手であっても、難しくコンスタントな得点を20歳の岡田がいとも簡単にやってのけたのだ。

さらに3月2日からスタメンに名を連ね、負傷欠場の金丸に代わり日本人の得点源に。16日、17日の千葉ジェッツ戦では抑え込まれたものの、スタメンになってからの平均得点は14.7得点。シュートを乱発しているわけではないため、確率も高い。

得点を量産できるようになったのには、課題克服が大きく影響している。出場時間が短い時期からフィジカル強化に時間を充て、僅か3か月でBリーグの選手に対応できるような体に。

高校時代から苦手だった外角シュートの向上にも取り組んだ。スタメン出場の試合で、コンスタントに3Pシュートを決められるようになったのは、成長の証。また、視野の広さや判断力もあり、アシスト数が多いことも賞賛に値する。

岡田の得点力は、常に強気の姿勢に加えて独特のリズムと巧みなステップ、身のこなしがあってこそ。そこにフィジカルや外角シュートも身に付けてきたため、Bリーグの強者たちが抑えるのに苦労しているのだ。

岡田の加入後、出場機会がなかった試合も含めて16勝14敗と僅かながら状況が好転している三河。チャンピオンシップの出場権をつかめるかは、岡田の双肩にかかっていると言っても過言ではない。