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日本バスケ界の新星・平岩玄へ、父からのメッセージ(上)~怒られてもきつくても仲間と共にバスケを続けた少年時代~

琉球ゴールデンキングス 平岩玄
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ⒸSPAIA

平岩玄選手のこれまでの足跡

姉の影響で小学校1年生の時にミニバスから始め、土浦日大高校時代には3年生の時に国体優勝も経験した。その年のウインターカップでは、明成高校に敗れたものの準優勝になる。そして、U-17男子バスケットボール世界選手権大会に日本代表の一員として出場を果たす。

2016年4月に東海大学へ進学。彼が大学入学直後に東海大学・陸川監督から、私が出演するfmラジオの番組でインタビューする機会があり「1年生で楽しみな選手が入ってきた」と笑顔で話をされていた、その選手の一人が玄選手だった。

入学して1か月も経たないうちに迎えた関東大学バスケットボール選手権大会では、1年生にもかかわらずスタート5に名を連ねる。それ以降も、大学日本代表として、さらに学生ながら日本代表候補として代表合宿に参加を果たす。

そして、2018年2月には、Bリーグ琉球ゴールデンキングスに特別指定選手として入団をし、プロのコートを経験する。

「バスケットボールを始めた頃は練習が嫌いでした」小学校当時のエピソード

先程のラジオ番組の企画で、東海大学入学直後の平岩玄選手にインタビューする機会があった。

バスケットボールを始めたのは小学校1年の時で、姉に誘われて始めたのがきっかけだった。「始めた頃は、なぜかわからないが練習は嫌いだった」とその時の状況を明かす。本当に好きに変わったのは、きちんとバスケットボールができるようになった小学校6年生の時だった。

中学校に入学して、一番苦労したことが「走ること」だったという。「中学時代に在籍していたクラブチームの先生が走ることが大好きで、運動量とか最初の頃は困った」と話す。

バスケットボールを始めた頃の玄選手を側で見守っていた父・丈彦さんは「小学生のとき、(玄選手の)姉が入っていたミニバスクラブに入って、姉をライバル視しつつ、いつのまにか身長も実績も姉を越えていった」と当時の状況を明かした。

「辛いとか厳しいとかを積み重ねて結果を残せたのは良かった」土浦日大高校時代を振り返る

土浦日大高校時代の3年間を振り返った時の最初の言葉が「とにかく怒られて、とにかくきつくて、辛い思い出しかない」だった。しかし「辛いとか、厳しいとかを積み重ねてきて、最後あのような結果(国体優勝、ウインターカップ準優勝)を残せたのは良かったと思う」と続けた。

高校時代のつらいエピソードとしても「走ること」をあげた。「走っているときについていけなかったことがあって苦しかった。しかし、チームメイトみんなが一緒に走ってくれて自分を引っ張ってくれたので、乗り越えることができた。同級生が10人いて、みんな仲が良かった。お互いに刺激を持つことや励まし合ったことで結果にもつながった」と明かす。

丈彦さんは玄選手の高校進学を決める際に、土浦日大高校の佐藤豊先生より「お父さん何かご要望は?」と尋ねられた事を明かしている。そして「高校生なので勉強はもちろん、文化祭、体育祭、修学旅行などはちゃんと出来るようにしてほしい。遠征や合宿でそれらが出来なくなるような事は無いようにお願いしたい」と頼んだ。「本人も楽しい特別でない高校生の部分を過ごせたのではないか」と話す。

インタビューの最後に玄選手は「誰と戦うにしても、100%の状態にしないと自分のプレーは出せないと思う。体づくりを怠ってけがをしてしまうのが一番もったいないので、自分で体づくりができる選手になりたい」と目標を掲げた。


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