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北海道のレジェンド・"折茂武彦"のバスケットボール界における功績

2017 1/10 23:42
バスケット選手,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

北海道のバスケットボール界で真っ先に名前が上がる選手といえば、多くの地元スポーツファンは"折茂武彦"を思い浮かべることだろう。彼は日本のバスケットボール界にどのような功績を残したのだろうか。今回は北のレジェンドの秘密に迫る。

"折茂武彦"という選手のはじまり

折茂武彦(おりもたけひこ)選手は、日本のプロバスケットボール界で活躍するアスリート。40代半ばを過ぎても現役を続けている超人だ。
地元埼玉の高校を経て日本大学に進学。卒業後はトヨタ自動車に入社。日本一と称される3ポイントシュートを武器に、チームの中心選手として活躍を続けた。
学生時代は全日本大学バスケットボール選手権大会優勝に貢献。社会人時代には全日本チーム入りも経験するなど、国内外の様々な大会での実績をもつ選手だ。

運命の地・北海道『レラカムイ北海道』への移籍

2007年、折茂選手は14年間在籍したトヨタ自動車から、北海道のバスケットボールチーム『レラカムイ北海道』に移籍する。
レラカムイ北海道は、新たに作られたバスケットボール界の新顔チームだった。故郷埼玉から遠く離れた北海道。そんな地のチームで戦っているうちに、北海道のファンの熱狂や歓迎ぶりに心を打たれた折茂選手。

「バスケを長年やってきて、ホームでの勝利がこんなにいいものだと初めて知った」

出典: orimo9.com

そう語った折茂選手はレラカムイ北海道に骨を埋める決意を見せ、いつしか初代『ミスターレラカムイ』と呼ばれるようになるのだった。

『レラカムイ北海道』から『レバンガ北海道』へ

折茂選手らの活躍もあり、北海道内で盛り上がりを見せてきたレラカムイ北海道。
しかし2011年、運営会社であるファンタジア・エンタテインメントの経営悪化から、レラカムイ北海道の消滅が囁かれる。新たな運営会社が名乗りをあげるものの、東日本大震災の影響もあり計画は頓挫。
このままでは北海道からプロバスケットボールチームが無くなってしまう。チームの危機に、折茂選手はあること決意するのだった。それは自らが一般社団法人『株式会社北海道バスケットボールクラブ』を設立し、選手兼オーナーになるという異例の決断だった。

バスケットボール選手として、オーナーとして

日本プロバスケットボール界としては異例の選手兼オーナーとしての第一歩を踏み出した折茂選手。レラカムイ北海道に所属していた選手も全員移籍選手リストに登録し、チームは新たに『レバンガ北海道』として再スタートを切った。二足のわらじで新たな扉を開き、北海道のプロバスケットボール界を救った『ミスターレラカムイ』。
折茂選手は北海道におけるバスケットボール界のレジェンドとして、今も道民から慕われ続けている。

折茂選手を支えた北海道のあたたかさ

折茂選手はレラカムイ北海道にきて、プロチームの現実を目の当たりにする。練習場はグラウンドに雑草が生い茂る、廃校となった学校の体育館。トヨタ時代は支給されるのがあたりまえだった練習着は自前で準備するのが"あたりまえ"。
しかし、折茂選手は移籍したことに対する後悔は感じていなかった。バスケットボールに専念できる"プロ"としての生活に喜びを感じていたからだ。
そして、地元チームを応援する北海道の人たちのあたたかい声援も、折茂選手の背中を支え続けた。

「今まで僕は、バスケを自分のため以外にがんばったことなんてなかった。満員の客席を見たとき、初めて思ったんだ。『この人たちのために、がんばらなきゃダメだ』って」

出典: livedoor NEWS

北海道へ移籍して初めて迎えた開幕戦のホームゲーム。3,000人はゆうに超える満員の地元ファンを目の当たりにした折茂選手は、そう感じたと語る。

まとめ

2016年にはBリーグという新たなリーグも始まり、国内バスケは大きな転換期を迎えている。選手として、いちチームのオーナーとしてどこまで挑戦できるのか。北海道、そして、バスケットボール界のレジェンド・"折茂武彦"が築いていく功績に注目していこう。