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シアトル・スーパーソニックスのNBAドラフト歴代1位の選手は!?

2017 7/10 10:01m-wataru
バスケットボールコート
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Photo by Adam Vilimek/Shutterstock.com

シアトル・スーパーソニックスは、1967年に創立されたチームです。2008年に本拠地をオクラホマシティに移し、チーム名をオクラホマシティ・サンダーに変更しました。 今回は、名称変更以前のシアトル・スーパーソニックス時代の同チームに注目し、NBAドラフト一巡目の歴代指名選手をご紹介します。

1979年のNBAチャンピオンに貢献したフレッド・ブラウン選手

ブラウン選手は、1948年にアメリカ合衆国ウィスコンシン州に生まれました。高校、大学時代から優れた成績を残しており、1971年にNBAドラフトにおいて全体6位でスーパーソニックスに一巡目で指名されました。
ルーキーシーズンはベンチから試合を観ることの多かったブラウン選手ですが、プロ2年目には平均13.5得点を挙げるなどその後の活躍を予感させる成績を残します。1974年シーズンには1試合58得点を挙げており、これはソニックス歴代1位の記録となっています。1978年シーズンには主力選手としてチームをNBAチャンピオンに導きました。

世界最高峰のポイントガード ゲイリー・ペイトン選手

ゲイリー・ペイトン選手は、1990年にNBAドラフトにおいて全体2位でスーパーソニックスから一巡目指名を受けました。洗練されたオールラウンドなオフェンス能力と高いディフェンス技術を有しており、ポイントガードとして世界最高峰の選手の一人として知られています。
ペイトン選手は、2003年までスーパーソニックスに在籍していますが、特に1995年シーズンはスティール王、NBA最優秀守備選手を受賞するなど飛躍の年となりました。キャリアの中で9回オールスターゲームに出場するなど、人気、実力ともに兼ね備えた選手でした。

2001年スラムダンクコンテスト優勝のデズモンド・メイソン選手

1977年にアメリカ合衆国テキサス州に生まれたメイソン選手。2000年のNBAドラフトにおいて全体17位でスーパーソニックスから一巡目指名を受けました。ルーキーシーズンは出場機会が少なかったものの、2001年にはNBAスラムダンクコンテストで優勝し、一躍その名を全米に知らしめました。
2003年までスーパーソニックスでプレーした後、様々なチームを渡り歩きますが、2008年シーズンにはオクラホマシティ・サンダー(元スーパー・ソニックス)に復帰しています。

3ポイントシューターとして活躍したウラジミール・ラドマノビッチ選手

ラドマノビッチ選手は、2001年にNBAドラフトでスーパーソニックスから全体12位で一巡目指名を受けました。プロデビューから3年目の2003年シーズンでは、平均12得点、5.3リバウンドという成績を残しています。
スーパーソニックスには、2006年まで在籍し3ポイントシューターとして活躍しました。その後、ロサンゼルス・レイカーズ、シャーロット・ボブキャッツなど様々なチームを渡り歩き、2012年シーズン終了後に現役引退を表明しました。

スーパーソニックス一筋のニック・コリソン選手

アメリカ合衆国アイオワ州出身のコリソン選手は、学生時代から優れた成績を残しており、大学在学中には世界選手権にアメリカ代表として出場した経験を持っています。
NBAドラフトにおいては、2003年にスーパーソニックスから全体12位で一巡目指名を受けています。ルーキーシーズンは両肩の故障という不運に見舞われますが、翌シーズンからはリバウンドに優れたパワーフォワードとして本領を発揮します。
オクラホマシティ・サンダーにチーム名を変更した後も、同チーム一筋で試合に出場を続けています。

まとめ

スーパーソニックスのNBAドラフト歴代一巡目で指名を受けた選手をご紹介しました。スーパーソニックスといえば、ペイトン選手が黄金時代を築いたというイメージが強いかもしれませんが、ドラフト指名を受けて入団した選手は他にもいます。ぜひ、ドラフト入団選手にも注目しましょう。