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車椅子バスケットの歴史を振り返る

2017 6/13 12:41
車椅子バスケ
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各地でのチーム発足、全国大会が開かれるまで

東京パラリンピックから3年、1967年には東京で全国に先駆けて車椅子バスケットボールのクラブチームができた。その後千葉、長野、別府、静岡と、障がい者施設に次々とチームが発足、同時にクラブチームも生まれていく。各地にチームができたことにより、それぞれに交流試合も行われるようになった。

1970年、東京・駒沢オリンピック公園体育館で「第一回車椅子バスケットボール競技大会」が開催された。翌年には「全国車椅子バスケットボール競技大会」と名称も改められ、全国から16チームが参加した。更に翌年の1972年には「第8回全国身体障害者スポーツ大会」の公式競技として、車椅子バスケットボールが採用されることとなった。

しかし、クラブチームの増加にも関わらず、「全国身体障害者スポーツ大会」では都道府県単位で8チームしか参加できなかったということもあり、障がい者自身の手によりクラブチーム対抗の大会の開催をしようという気運が高まった。
そして1974年、「全国車椅子バスケットボール競技大会」が開催。これを機に全国的な組織化の必要性が議論されるようになり、遂に1975年「日本車椅子バスケットボール連盟(Japan Wheelchair Basketball Federation)」が結成されることとなる。同時に全国を10地区とする地方連盟が組織された。

全国から日本代表へ、そして世界へ

現在日本車椅子バスケットボール連盟は全国10地区に分けられ、会員数が661名、チーム数が70チーム(うち女子8チーム)に上る。(2017年6月時点)
大会も日本車椅子バスケットボール選手権大会、日本女子車椅子バスケットボール選手権大会を筆頭に日本選抜、ジュニア選抜、シニア選抜、全日本ブロック選抜など大会も細分化、数多く開催されている。

また、日本が海外チームを招聘し国際大会も開催されている。日本代表チームはリオデジャネイロパラリンピックではメダル獲得はならなかったものの(女子は4位惜しくも銅メダルを逃す)、2014年アジアパラ大会では男女ともに2位。U23日本代表は国際大会へも積極的に参加している。
海外のプロチームで活躍する選手も増えてきており、2020年の東京パラリンピックに向けて着実に日本の実力の底上げを図っている。

愛称は「イスバス」そして漫画「リアル」

イタリアンチャンピオンズリーグセリエAのチームで活躍、2010年バンクーバーパラリンピックでは聖火ランナーをまかされたプロ車椅子バスケットボール選手の安直樹選手が、車椅子バスケットボールを一般的に認知してもらえるよう「イスバス」という愛称を考案。この名称はウェブ辞書にも登録され、メディアなどでも使用され始めている。安選手は車椅子バスケットボールがより広く浸透するよう、また障がい者スポーツの認知、理解が深まるよう、様々に貢献している。

また車椅子バスケットボールを題材とした、井上雅彦氏による漫画「リアル」(集英社)の影響も大きい。2001年には第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し、累計発行部数は1000万部を突破している。これにより若者層を含めた幅広い年齢層に車椅子バスケットボールが認知されるようになった。

まとめ

第二次世界大戦後、イギリス、アメリカで生まれた車椅子バスケットボール。中村博士によってもたらされて以降、日本でも今日までその裾野を広げ、着々と発展していった。今では日本代表チームが国際大会に積極的に参加し、また海外のプロリーグで活躍する選手も増えてきている。
安選手や車椅子バスケットボール関係者達の努力、井上氏の漫画により、車椅子バスケットボールは障がい者スポーツの枠を超えて多くの人を巻き込んでいっている。連盟はジュニアやU23の育成にも余念がない。2020年東京パラリンピックでは世界の強豪に食い込んでいくことを期待したい。

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