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2020年東京パラでメダル獲得へ!車椅子バスケ日本代表の注目の5人

2017 4/5 18:49出井章博
バスケットボール
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出典 Gts/ Shutterstock.com

2016年リオパラリンピックでも注目競技だった車椅子バスケ。惜しくもメダル獲得はならなかったが、2020年東京パラリンピックでは、悲願のメダル獲得が期待される。そこで、2020年東京パラリンピックに向けて注目の車椅子バスケ男子日本代表の選手5人を紹介する。

日本代表の大黒柱、藤本怜央選手

藤本怜央選手は、1983年9月22日静岡県島田市出身で、ポジションはセンター。所属はSUSで、チームは宮城MAXだ。藤本怜央選手は小学校3年生の時に自転車に乗っていてダンプカーに巻き込まれる事故に遭った。その事故で右脚の膝から下を失うことになった。その後、義足をつけて生活し、静岡県立島田工業高校に進学。高校3年で車椅子バスケを始めるとメキメキと上達し、19歳で日本代表に選ばれた。
国内のチームの最高峰の大会である日本選手権で11年連続得点王の記録を持ち、ベテランになった現在も日本代表を引っ張る存在だ。

日本代表随一のパワーで圧倒、香西宏昭選手

日本代表で一番のパワーで外国の選手たちも弾き飛ばすのは、ベンチプレス130kgを持ち上げることができる香西宏昭選手だ。1988年7月14日千葉県千葉市生まれで、先天性両下肢欠損という病気とともに生まれた。12歳で車椅子バスケを始めると、高校1年でU-23日本代表に選ばれる。高校卒業後は、車椅子バスケの本場アメリカにあるイリノイ大学に進んでいるが、語学習得や単位取得は難しかったと語っている。
大学3年次と4年次にはシーズンMVPにも輝いており、大学卒業後にドイツで車椅子バスケのプロ選手となると、車椅子バスケ日本代表でも欠かせない存在になった。

人気ナンバー1のイケメン選手!豊島英選手

1989年2月16日福島県いわき市生まれ、ポジションはガードの豊島英選手は、イケメンで女性人気の高い選手だ。生後4か月でかかった髄膜炎の影響で、足が不自由になった。
2009年から車椅子バスケの強豪チーム東北MAXに加入すると、日本代表にも呼ばれるようになり、2012年のロンドンパラリンピックや2016年のリオパラリンピックにも出場している。豊島英選手は、人気だけでなく実力も折り紙付きで、国内車椅子バスケの最高峰である日本選手権で通算3度のMVPを獲得している。

進化を続ける若手ホープ!鳥海連志選手

鳥海連志選手は、長崎県長崎市で1999年2月2日に生まれ。生まれつきすねの骨がなく、3歳の時には足を切断している。さらに、鳥海連志選手は生まれつき右手の指が4本、左手の指が2本しかない。
そんな鳥海選手は、両親と兄がバスケットボールを行っていた関係で、中学1年で車椅子バスケを始めた。たくさんのハンディキャップがあるものの、それに負けまいと努力を積み実力をつけると、高校1年生の時に日本代表に16歳で選ばれる。2016年のリオパラリンピックで経験を積み、2020年東京パラリンピックで期待されるホープだ。

頑張れ働くお父さん選手、藤澤潔選手

藤澤潔選手は、1986年7月26日長野県長野市生まれのSG。5歳の時に跳び箱から落下する事故があり、脊髄を損傷して腹筋から下が麻痺してしまった。
高校1年から車椅子バスケを始め、パラリンピック出場を目指す。しかし、2012ロンドンパラリンピックで代表の座を逃してしまう。だがそこで腐らずに強豪チーム埼玉ライオンズへ移籍する。この時すでに結婚していた藤澤潔選手にとっては大きな決断だったようだ。サラリーマン選手として週に5日働きながら車椅子バスケを行っているが、2016年リオパラリンピックに出場して念願をかなえた。2020年東京パラリンピックでも期待される選手だ。

まとめ

海外で力の向上を目指す選手、国内でサラリーマンとして競技を続ける選手など様々だが、個々の力が合わさった時が楽しみだ。車椅子バスケ日本代表に注目していきたいだ。