「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

西武ライオンズの優勝パレード・祝賀会まとめ

2016 9/20 12:42
野球
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Danny E Hooks/Shutterstock.com

かつて「実力のパ」において長く黄金時代を築いた西武ライオンズは、どのような祝勝会や優勝パレードを行ってきたのでしょうか。優勝当時チームを支えた選手を含めて紹介します。

埼玉西武ライオンズの1988年は近鉄と球史に残る接戦

日本一13回、パ・リーグ制覇21回もの記録を誇るライオンズ。ただ、黄金期を作った名将・森祇晶監督をして「失礼かもしれないが、大きな誤算だった」と苦しめられたシーズンがありました。それが、1988年のペナントレースです。
日本シリーズ3連覇がかかったシーズンに、全試合を終えた時点でチームは首位でしたが、森監督の「誤算」は近鉄の存在でした。近鉄は10月19日の最終戦、ロッテとのダブルヘッダーで第一試合の9回に劇的な勝ち越しで大逆転優勝への望みをつなぎ、第二試合も延長10回までもつれた結果、最後は併殺で引き分け。優勝が決まった午後10時42分、西武球場では吉報を信じて待っていた選手とファンが歓喜に包まれた、球史に残る接戦でした。

2008年の埼玉西武ライオンズ、若獅子奮闘で日本一

2000年代後半に入ると、かつての常勝軍団は親会社の球団身売り問題や、エース松坂大輔選手(現・ソフトバンク)のメジャー移籍、カブレラ選手や和田一浩選手といった長打力のある選手の移籍に伴い、新しいチームへと生まれ変わろうとしていました。リーグ5位と低迷したチームの再建を託されたOBの渡辺久信監督の下では、「おかわり君」こと中村剛也選手らが長打力を補い、片岡治大選手(所属当時は「易之」、現巨人)が盗塁を決める機動力も見せる爆発力をみせました。
前年から見事な復活を遂げた若獅子はパ・リーグを完全制覇。巨人との日本シリーズも最終戦までもつれたものの、岸孝之選手の力投などで13度目の日本一を達成しました。

埼玉西武ライオンズの祝勝会

「これがプロの優勝なんですね!素晴らしい、こんなん初めてや」と言ったのは、入団1年目で19歳だった清原和博選手。未成年の飲酒は法律で禁止されているものの、当時の認識としては「ビールかけならええややろ」。主力選手がこぞって清原選手にビールをかけてルーキーイヤーの活躍をねぎらいました。近年のライオンズでは「宴会部長」といえば平尾博嗣選手でした。
2015年以前では最後の優勝となった08年の日本一を祝したビールかけでは、渡辺監督が音頭を取る前にフライング気味にビールかけをスタート。北京五輪の開催年だったこともあり、柔道金メダリスト石井慧選手のマネをして柔道着で会場入りし、場を盛り上げました。

埼玉西武ライオンズの優勝パレードは2008年に初開催

西武ライオンズが初めて優勝パレードを行ったのは2008年です。常に優勝争いに絡んでいるイメージがあるため、西武球団が発足してから30年で初めてというのは意外に思われる方も多いでしょう。
11月23日、所沢駅西口広場をスタートした一行は、元町交差点まで約1.2km続きました。オープンカーに乗った渡辺監督や赤田将吾選手会長、後続の2階建てのオープンバス3台に他の選手たちが乗り込んで、沿道の市民らに手を振りました。パレードには7万人の市民が詰めかけて、V戦士にねぎらいの言葉をかけました。

埼玉西武ライオンズが優勝すると西武百貨店やパルコなどでセール

西武ライオンズがリーグ優勝や日本一になると、ファンにとっては喜ばしいことなのですが、経済的にはどのような効果があるのでしょうか。セールは同じ名が付く西武百貨店やパルコ、そごうなどで開かれます。2008年の優勝セールでは池袋の西武百貨店に開店前から2000人が列を作りました。
また、そごう・西武はセブン&アイ・ホールディングスの系列でもあるため、総合スーパーのイトーヨーカドーでも優勝セールが開かれるでしょう。身近にこれらの店舗があるなら、西武ライオンズの優勝の恩恵を受けられるかもしれません。

まとめ

日本一13回を誇るライオンズが、2008年まで優勝パレードを行っていなかったことは、知らない方も多いのではないでしょうか。
再び所沢駅前の沿道をファンで埋め尽くせる日は来るのか、今後の西武ライオンズの活躍に期待が集まります。

以上「西武ライオンズの歴史優勝パレード・祝賀会まとめ」でした。