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広島東洋カープの歴史とスポンサーにまつわるお話5つ

2016 9/16 20:29
野球
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「広島カープ」から「広島東洋カープ」へ

その後もチーム成績は低迷を続け、一時期のフィーバーも収束して観客数も減少傾向にあったこともあり、1967年、経営を安定させるために東洋工業株式会社(のちのマツダ株式会社)が「株式会社広島カープ」を全面買収して、当時の社長である松田恒次が球団オーナーとなる。
これに伴い球団名が「広島東洋カープ」へと変更され、それは現在でも続いている。東洋工業はその後も球団経営への介入は控え、スポンサーとしての立場を超えることをしなかったため、市民球団としてのイメージは維持されている。

メインスポンサー「マツダ株式会社」

1970年にはいると、山本浩二、衣笠祥雄といったスター選手が育ち始め、1975年に球団史上初となるリーグ優勝を果たす。それ以降は球団経営が安定し、球団とメインスポンサーである東洋工業(マツダ)とは良好な関係が現在まで続いている。
2009年に完成した新しい球場には「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」という名前が付けられ、ヘルメットやユニフォームのそでには「マツダ」のロゴが入り、球場のチケットにも「マツダ」の広告が入るなど、いろいろなところで「マツダ」の名を見ることができる。

マツダ以外にもたくさんのスポンサーが支えている

2016年現在、広島東洋カープはオフィシャルスポンサー7社、スポンサー117社がついて支えている。メインスポンサーのマツダをはじめ、RYOBI株式会社、アサヒビール株式会社、コカ・コーラ ウエスト株式会社、株式会社イズミ、株式会社セブン・イレブン・ジャパン、株式会社エディオンといった地元や西日本の有力企業が並ぶ。
ほかにも球団結成に尽力した株式会社中国新聞社や1950年代からスポンサーに付いているフマキラー株式会社(当時の社名は株式会社大下回春堂)などの名前もみられ、スポンサーと球団との関係が長く続いているのが見てとれる。

まとめ

市民球団として設立された広島東洋カープは当初は資金難から合併も検討されるような球団だった。
しかし、育成に力をいれるなどいろいろな工夫や努力をして、安定した経営を実現してきた。現在ではオフィシャル、非オフィシャルに関わらず多くのスポンサーに支えられ、良好な関係を保っている。

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