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村田修一は引退となるのか 過去「現役最終年に好成績を残した打者」は

2018 8/7 13:00青木スラッガー
バッター,ⒸShutterstock.com
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村田の巨人最終年成績「118試合、打率.262、14本塁打、58打点」

BCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスでプレーしていた村田修一の、今シーズン中のNPB復帰は叶わなかった。7月31日の移籍期限まで動きはなく、村田は8月1日に会見。「来年NPBを目指すことは今の時点で考えにくい」と事実上の引退宣言とも取れる発言を残している。

衝撃の戦力外通告から約10ヶ月。村田が巨人を去った2017年のシーズン成績は「118試合、打率.262、14本塁打、58打点」というもの。序盤戦こそベンチスタートが多かったが、指名打者制の交流戦が開幕してからはスタメンに返り咲き、中盤戦から不動の三塁手レギュラーとして活躍した。そして、どのチームでも「主力」として通用すると考えられる巨人最終年のプレー。現役続行を期待するファンの声も多い。

好成績を残し引退していく選手が多かった昭和のプロ野球

過去にも村田と同様に好成績を記録しながらも、球界を去った打者たちがいた。 昭和のプロ野球では、レギュラーで好成績を残したにもかかわらず、自分で「引き際」と決めて引退していく選手は今ほど珍しくなかったのだ。

有名なのは、打率が.236にとどまった1980年に「自分のバッティングができなくなった」と引退を発表した王貞治だが、打率以外は30本塁打84打点と十分戦力として通用する成績だった。
1974年に引退した長嶋茂雄も、現役最終年に打率.244、15本塁打、55打点をマークしている。また、巨人V9メンバーで二塁手の土井正三も、110試合で打率.285、4本塁打、28打点の成績を残しながら1978年に現役引退した。

1986年に引退した山本浩二は打率.276、27本塁打、78打点、その翌年に引退した衣笠祥雄は打率.249、17本塁打、48打点と、ONが去ったセ・リーグで黄金期を築いた広島のレジェンド打者2人も、主力で活躍している段階でユニフォームを脱いでいる。

他には、通算本塁打歴代9位の大杉勝男(1983年引退、打率.261、21本塁打、53打点)、同11位の田淵幸一(1984年引退、打率.230、14本塁打、55打点)、中日一筋で通算2000安打を達成した谷沢健一(1986年引退、打率.273、13本塁打、35打点)などが、昭和の時代に現役最終年まで好成績を残した名選手だ。

近年では新庄が16本塁打を放ったが……

近年のプロ野球では、控えに回るようになってもチームに貢献できる限り、現役を続ける選手が増えている。村田と同時代を戦った主な打者のNPB最終年成績を以下に並べてみる。


NPB最終年成績


ⒸSPAIA

長距離ヒッターである村田と比較するため、通算本塁打成績の上位陣を中心に抜粋したが、最終年はほとんどが出場100試合に届いていない。本塁打「0」の選手も多く、上記選手で二桁本塁打に達した日本人選手は新庄のみだ。新庄は阪神時代若手の頃に一度、「野球センスがないから」という理由で自ら引退宣言をしている。破天荒な性格の裏にもストイックな一面が見え、天才肌で何を考えているのかわからない選手だった新庄。特殊な例だが、彼なりの引退哲学があったのだろう。

一旦引退後に独立リーグで現役復帰したウッズとローズに関しては、一方的な戦力外通告を受けた訳ではなく、ウッズが6億円、ローズが3億円という高額年俸がネックで契約がまとまらなかったためだと言われている。

過去を振り返ってみれば、現役最終年に村田クラスの成績を残した打者が存在したことは明らかだ。だが、彼らの引退理由は「自ら引き際を決める」や「契約が折り合わない」などで、村田のように「現役続行を希望しているのに活かす場所がない」というケースは見当たらない。

同学年の松坂大輔は「あきらめないでほしい。自分たちはまだやれる」とエールを送ったという。現役続行を望む村田ファンの願いは通じるのか。