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プロ野球選手の夢!年俸大幅アップを勝ち取った選手たち

2017 12/6 14:33Mimu
契約
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どん底から復活したスラッガー!中日ドラゴンズ中村紀洋

中日時代の中村紀洋のケースを紹介しよう。ご存じの通り、90年代から2000年にかけて、近鉄バファローズの4番打者として活躍した中村紀洋。この当時の年俸は推定5億円だったという。
2004年オフ、近鉄とオリックス・ブルーウェーブが合併することもあってMLBへ挑戦を表明。だが結果を残すことが出来ずに、2006年からはオリックス・バファローズへと復帰した。
しかし、このオリックスでも契約面で折り合いが合わず退団し、2007年には育成契約で中日へと入団することとなった。

育成契約故、年俸は400万からスタート(ちなみにオリックスの提示は8000万)。開幕前に支配下契約を果たし、年俸は600万円で新しい契約を結んだ。
だが、こういったドタバタの入団ながら、開幕からシーズン終了まで安定した活躍を見せ、打率.293 20本塁打 79打点をマーク。日本シリーズにも出場し、打率.444 4打点で日本一にも貢献した。
日本シリーズMVPも獲得し、契約更改では600万から5000万円への733%アップ提示。一度はどん底を味わった男が、再び輝きを取り戻した瞬間であった。

高卒2年目でクローザー抜擢!オリックス・ブルーウェーブ、平井正史

オリックス・ブルーウェーブ時代の平井正史も、大幅アップを勝ち取っている。愛媛県の宇和島東高校から93年のドラフト1位で入団。
2年目の95年には仰木彬監督に見いだされ、クローザーに大抜擢されると、53試合15勝5敗27セーブという好成績を残し、チームのシーズン優勝に大きく貢献した。タイトルも新人王、最優秀救援投手、さらには中継ぎながら最高勝率まで獲得。
間違いなく、この年1番ブレイクした選手だっただろう。そしてこの年のオフ、年俸が660万から6000万円へ、809%の大幅アップを勝ち取っている。

その後オリックスでは思うような活躍は出来なかったが、2003年に中日へと移籍すると大復活、先発に中継ぎにと大車輪の活躍を見せて、12勝6敗防御率3.06と素晴らしい活躍を見せ、カムバック賞に輝いた。
その後も中継ぎとしてチームを支え、一時は9500万円まで年俸が上がっている。

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