「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

オリックス山本由伸も背負った出世番号 プロ野球における背番号43の選手たち

2023 8/3 06:00SPAIA編集部
オリックスの山本由伸
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA

2023年現役選手の背番号「43」

背番号「43」は、かつてオリックスの山本由伸(現在は「18」)や西武の髙橋朋己などが付けており、投手のイメージが強い番号だ。2023年はどのような選手が着用するのだろうか。各球団の背番号「43」は下記の通りとなっている。

ヤクルト:山本大貴投手
DeNA:深沢鳳介投手
阪神:髙濱祐仁外野手
巨人:重信慎之介外野手
広島:島内颯太郎投手
中日:味谷大誠捕手

オリックス:前佑囲斗投手
ソフトバンク:井上朋也内野手
西武:羽田慎之介投手
楽天:宋家豪投手
ロッテ:秋山正雲投手
日本ハム:水野達稀内野手

不在:0球団
投手:7球団
捕手:1球団
内野手:2球団
外野手:2球団

ポジション別では、投手が最多の7球団となっている。山本由伸から受け継いだオリックスの前佑囲斗や西武の羽田慎之介、ロッテの秋山正雲など将来性の高い投手たちが背負っている。また、ソフトバンクの2020年ドラフト1位・井上朋也ら野手の有望株も着用しており、近い将来、出世番号となっているかもしれない。

投手の着用が多い番号ではあるが、野手でもこの番号でキャリアをスタートさせ、実績を残した選手もいる。代表的なのが宇野勝(中日)と大石大二郎(近鉄)だろう。宇野は本塁打王に輝くなど遊撃手として活躍。大石は盗塁王を4度獲得するなど俊足巧打で名を馳せた。現役引退後にはオリックス・バファローズの指揮も執っている。

次章以降では、背番号「43」にまつわる選手や球団の歴史などを紹介していく。

宇野勝の入団当時は「43」

中日ドラゴンズや千葉ロッテマリーンズで、スラッガーとして活躍した宇野勝。入団当初の背番号は「43」だった。1976年ドラフト3位で銚子高校から中日へ入団。高卒ながら1年目に一軍デビューを果たし、2年目の1978年には26試合に出場し、3本塁打を記録。スラッガー候補として期待が高まった。

このシーズンオフに宇野は、背番号を「43」から「7」に変更。その後、遊撃手のレギュラーに定着し、1984年には37本塁打で本塁打王にも輝いている。現役晩年は地元である千葉に移転したロッテに移籍。2年間プレーしている。

中日の「43」はそれ以降、投手の番号として使用されることが多く、1999年から2012年までは小笠原孝が着用している。小笠原の引退後は2012年のドラフト会議で「高校ビッグ3」とも呼ばれていた濱田達郎に与えられた。

2023年からはドラフト4位ルーキーの味谷大誠捕手が着用している。

広島の背番号「43」は外国人選手用?

広島東洋カープの背番号「43」は、外国人選手が多くつけている。1990年にヤング選手が着用して以降、合計11名が使用した番号だ。

のちに監督も務めることになるブラウンも1992年から1994年の3年間にわたり、この番号でプレーしていた。広島、東北楽天ゴールデンイーグルス2球団で監督を務めているが、その当時の背番号は「43」ではなく、それぞれ「71」、「81」となっている。

長期にわたって定着することは少なく、ブラウン(1992年-1994年)とミンチー(1998年-2000年)の3年間が最長着用期間となっており、7選手が1年のみで退団となっている。

おもしろいエピソードがあるのは、初めて広島の外国人選手として背番号「43」をつけたヤングだ。1990年に入団した際の背番号は「55」であった。しかし、キャンプ中に仁平馨と背番号を交換したのだ。キャンプ中に背番号を交換するのは異例のことだった。

2023年現在は、島内颯太郎投手が2019年より同番号を背負っている。今後、外国人選手が背負うことになるのか広島の背番号「43」に注目したい。

両リーグで2桁勝利を達成したミンチー

広島東洋カープ、千葉ロッテマリーンズの2球団でプレーしたミンチー投手。1998年に広島へ加入すると15勝をマークし、ローテーションの一員としてシーズンを全うする。投球回数もリーグ最多の236回とまさにフル回転の活躍だった。翌1999年はわずか2勝(9敗)に終わるが、2000年に再び12勝(10敗)と2桁勝利。広島での3年間で29勝をあげている。

2000年で広島との契約が切れるとアメリカへ戻ることはせず、ロッテに移籍。リーグを移っても3年連続2桁勝利を記録。移籍初年度の2001年には防御率3.26で最優秀防御率のタイトルも獲得し、両リーグで2桁勝利を挙げた外国人選手となった。

パ・リーグにおいて同タイトルを獲得したのはミンチーが初めてだ。また、防御率3点台のタイトルホルダーは、この年のミンチー以降出ていない。

ロッテでは4年間を過ごし45勝、日本通算74勝をあげ2004年に現役を引退した。ミンチーは日本での7シーズン全てにおいて、背番号「43」を着用している。両リーグで活躍したこともあり、背番号「43」といえばミンチーの名前が思い浮かぶファンも少なくないだろう。

20勝投手がクローザーへ転身デニス・エカーズリー

メジャーリーグの背番号「43」で名を残した選手の筆頭格が、デニス・エカーズリーだ。24年間の現役生活で390セーブをマーク。クローザーとしてサイ・ヤング賞を受賞するなどの活躍を見せた名投手だ。オークランドアスレチックス時代の1989年には、ワールドチャンピオンにも輝きチャンピオンリングも手にしている。

1975年にクリーブランドインディアンスでデビューを果たすと、ボストンレッドソックス、シカゴカブス、オークランドアスレチックス、セントルイスカージナルスでプレー。インディアンス時代、カブスでの1年を除いて背番号「43」を着用していた。

1977年にはノーヒッター(ノーヒットノーラン)を達成するなど、キャリア前半は先発投手としてプレー。1978年には20勝も達成したが、キャリア中盤の1987年からクローザーに転身した。1992年には史上3人目となるクローザーによるMVP、サイ・ヤング賞の同時受賞となった。

1998年に現役引退後、2004年にアメリカ野球殿堂入りを果たした。2005年にはアスレチックスにおいて背番号「43」が永久欠番となっている。

2022年終了時点でメジャーリーグにおいて「43」の永久欠番はエカーズリーただひとり。今後、日本プロ野球も含めて、「43」の永久欠番が生まれるか注目したい。

【関連記事】
メジャー全球団の永久欠番、日本人も増加傾向? プロ野球における背番号42の選手たち
韋駄天の出世ナンバー、広島では捕手の系譜 プロ野球における背番号40の選手たち
捕手の代名詞から内野手ナンバーへ? プロ野球における背番号39の選手たち