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メジャー全球団の永久欠番、日本人も増加傾向? プロ野球における背番号42の選手たち

2023 7/29 06:00SPAIA編集部
阪神のカイル・ケラー、ロッテのC.C.メルセデス、ソフトバンクの大関友久,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「42」

2023年各球団の背番号「42」は下記の選手が背負っている。

オリックス:ジャレル・コットン投手
ソフトバンク:大関友久投手
西武:ボー・タカハシ投手
楽天:クリス・ギッテンス内野手
ロッテ:C.C.メルセデス投手
日本ハム:不在

ヤクルト:澤井廉外野手
DeNA:トレイ・アンバギー外野手
阪神:カイル・ケラー投手
巨人:ルイス・ブリンソン外野手
広島:ドリュー・アンダーソン投手
中日:ブライト健太外野手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:0球団
内野手:1球団
外野手:4球団

外国人選手の着用が多い背番号「42」。2023年シーズンも12球団中8球団が外国人選手の番号となっている。日本では縁起の悪い番号とされるが、メジャーリーグでは全球団が永久欠番となっていることもあり、来日してこの番号を選ぶ選手は多い。

ただその分、入れ替わりも激しく、2023年も6球団で変更があった。オリックス・コットン、DeNA・アンバギー、巨人・ブリンソンが新助っ人として加入。ロッテには巨人からC.C.メルセデスが移籍加入した一方、日本ハムでは2022年に来日したガントが一軍未登板のまま、シーズン途中で退団した。

また、以前ほど日本人選手が敬遠する風潮はなくなっており、ソフトバンクの育成出身左腕・大関友久に、中日の2021年ドラフト1位・ブライト健太、そしてルーキーでもヤクルトにドラフト3位で入団した澤井廉が「42」を背負っている。

そんな背番号「42」を着用していた日米の名選手を次章以降で紹介していく。

メジャー全球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソン

メジャーリーグにおいて背番号「42」は全球団共通の永久欠番となっている。黒人選手として初めてメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンがそのルーツだ。ロビンソンはまだ人種差別の激しかった1947年にブルックリンドジャースでメジャーデビュー。その年に盗塁王に輝くと、1949年には首位打者にも輝くなど1956年まで10年間プレーした。

ロビンソンはファンからヤジを受けた。一緒のグラウンドをプレーすることを拒む他チームの選手もいたほどだった。そのような状況にロビンソンは耐え忍びながら結果を残した。

ロビンソンの功績を讃え、現役時代に着用していた背番号「42」が全球団共通の永久欠番となった。また、メジャーデビューを果たした4月15日をジャッキー・ロビンソンデーと称し全球団、全選手が背番号「42」をつけてプレーするようになった。

日本に来る外国人選手が背番号「42」を着用することが多いのは、このような理由がある。

メジャーリーグ最後の背番号「42」マリアノ・リベラ

ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー50周年の1997年4月15日。全球団の背番号「42」が永久欠番となった。着用を許されたのは、その時点で「42」を背負っていた選手だけだ。そのひとりがマリアノ・リベラだった。ニューヨーク・ヤンキースの守護神として活躍したリベラも1997年開幕当時、実績はまだなかった。

この年に抑えを任され、43セーブを挙げたことで、史上最高のクローザーへの道を歩むことになったのだ。2011年まで15年連続20セーブ以上をマーク。最多セーブを3度記録し、2013年の現役引退時までに積み上げたセーブ数はメジャーリーグ史上最多の652。ポストシーズン通算42セーブも歴代最多だ。

移籍市場が活発なメジャーリーグにおいてリベラはヤンキース一筋でプレー。ヤンキースタジアムの9回表に登場曲であるMetallicaの「Enter Sandman」が流れると、スタジアムのファンは勝利を確信した。それほどまでの絶対的守護神だった。

意外に知られていない真弓明信

日本人選手で背番号「42」を背負った選手が多くないだけに、実績を残した選手はさらに少ない。「42」が「死」を連想させるために、空き番となることが多かったからだ。しかし、中には「42」を背負って飛躍を遂げた選手もいる。阪神の監督を務めた真弓明信もその一人だ。

1972年ドラフト3位で電電九州から太平洋クラブ(現西武)に入団した真弓は、背番号「2」でプロ野球人生を歩み始める。翌1974年に背番号「42」へ変更すると徐々に出場試合数を増やし、1978年にはレギュラーとして118試合に出場。打率.280(418打数117安打)、8本塁打、38打点の成績を残す。そのオフに阪神へトレードされた。

阪神から田淵幸一と古沢憲司が西武(この年に西武が買収)へ、真弓、武田和史、竹之内雅史、若菜嘉晴が阪神へ移籍するという2-4の大型トレードは「世紀のトレード」と呼ばれた。阪神では真弓の背番号は「7」になった。

この移籍が真弓の転機となり、1983年には打率.353(448打数158安打)で首位打者。1985年には一番打者として打率.322(497打数160安打)、34本塁打、84打点の成績を残し日本一に貢献。長打のある切り込み隊長として君臨した。

現役引退後は2009年から2011年までの3年間にわたり、阪神の監督を務めている。

最後の近鉄戦士・坂口智隆

坂口智隆は神戸国際大付から2002年ドラフト1位で近鉄に入団。2年目のオフにはオリックスと近鉄の合併、球界再編騒動に巻き込まれたが、合併球団のオリックスでレギュラーをつかみ、2011年には175安打で最多安打のタイトルを獲得した。

しかし、ケガの影響で36試合の出場にとどまった2015年オフに大幅な減俸を提示され、オリックスを退団。ヤクルトに移籍し、自ら背番号「42」を選んだ。ヤクルトでは2016年から3年連続150安打以上をマークし、見事復活を遂げた。

その後、「最後の近鉄戦士」として2022年まで現役を続け、通算で1526安打を記録。「グッチ」の愛称で親しまれた不屈のヒットメーカーは、多くのファンに惜しまれつつ20年間の現役生活に終止符を打った。

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