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プロ野球における背番号37の名選手たち

2017 12/24 12:24cut
野球ボール,バット
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「神ってる」の生みの親!緒方孝市監督の現役時代は「37」がルーツ

2015年から広島東洋カープの指揮を執っている緒方孝市監督。1986年ドラフト3位で広島に入団を果たし、背番号「37」で現役生活をスタートさせる。
高卒と言うこともあり出番は少なかったものの、5年目の1991年に102試合に出場するとその後も出場機会を確保。1995年には101試合に出場。規定打席到達はできなかったものの、47盗塁をマークし盗塁王を獲得した。この活躍がありオフに背番号を「37」から「9」に変更することとなった。

緒方選手はケガが多かったものの、2009年まで22年間に渡って現役生活を続け、1506安打、268盗塁をマーク。広島におけるスター選手のひとりとして活躍する。
引退後(晩年は選手兼任)もコーチとしてチームに残り、2015年から監督となった。監督となってからは、球団史上2度目の連覇を果たすなど実績を残している。

また、2016年には2試合連続サヨナラ本塁打を放った鈴木誠也選手を「神ってる」と表現。そのフレーズがユーキャン新語・流行語大賞を受賞したことで、お茶の間にも名前が知れ渡っている。

『ミスターファイターズ』こと田中幸雄選手

日本ハムファイターズ一筋22年、通算2012安打を放ち、名球会入りも果たしている田中幸雄選手。清原和博選手や桑田真澄選手らで沸いた1985年のドラフト会議で、3位指名を受けプロ入りを果たす。
最初に与えられた背番号は「37」だった。高卒1年目は14試合の出場にとどまるが、2年目となる1987年に112試合に出場。1988年からは4年連続全試合出場を果たし、レギュラーに定着した。
キャリア序盤である1986年から1990年までを背番号「37」で過ごし、その後「6」へと変更になったのだ。

以降も日本ハムを象徴する選手として、北海道移転後の2007年まで現役を続けた田中選手。現役最終年には2000本安打も達成し、名球会入りを達成。打撃タイトルは1995年の打点王1度のみだったが、『ミスターファイターズ』として人気を博していた。

また入団当初の1986年から1989年までの4年間は、同姓同名の田中幸雄選手(投手)がいたこともあり、表記は田中雄となっていた。また、田中幸雄投手が190センチと大柄で『オオユキ』と呼ばれていたのに対し、田中幸雄選手は184センチと小柄ではなかったものの『コユキ』と呼ばれることもあった。

退団後もコーチとして日本ハムを支え、2015年から2017年まで二軍監督を務め、若手選手を一軍に送り込んでいた。

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