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プロ野球における背番号36の名選手たち

2018 1/2 21:24cut
野球ボール,グローブ
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V9時代に背番号「36」を背負った国松彰選手・柳田俊郎選手

読売ジャイアンツの背番号「36」は『ON』こと王貞治選手、長嶋茂雄選手と同じ時代に活躍していた選手が着用していた。国松彰選手、柳田俊郎選手のふたりだ。

1955年に投手として巨人に入団した国松選手。入団3年目に外野手へ転向すると1960年にレギュラーを獲得する。1961年からは王選手、長嶋選手の前を打つ1番、2番で起用されていた。
1965年から始まった9連覇の初期を中心メンバーとして過ごし1970年に現役を引退。入団から引退まで背番号「36」を背負っている。
現役引退後は亀屋万年堂の経営に携わった。これは創業者の娘と結婚したからである。

国松選手の後にこの番号を背負ったのが、柳田俊郎選手だ。1969年に西鉄ライオンズから巨人へ移籍してきた柳田選手。1971年に背番号「62」から「36」へ変更すると控えながらも出場機会を増やしていく。
1974年には規定打席に未到達ながらも打率.335(251打数84安打)、15本塁打、52打点をマーク。1977年には登録名を柳田真宏へと変更し大ブレイク。打率.340(374打数127安打)、21本塁打、67打点の成績を残す。この年、打撃タイトルこそ獲得できなかったが、恐怖の5番打者として他球団からは恐れられた。

国松選手、柳田選手以降ではヤクルトから移籍してきた長嶋一茂選手、マイケル中村選手らが巨人の「36」を背負っている。しかし、大きな実績を残すことはできていない。2017年からこの番号を背負っている桜井俊貴選手には前任者を超える活躍に期待が掛かる。

スピットボールで300勝超!ゲイロード・ペリー選手

2017年現在でメジャーリーグにおいて背番号「36」は2球団で永久欠番となっている。サンフランシスコジャイアンツとフィラデルフィアフィリーズだ。そのひとつであるジャイアンツで永久欠番となっているのが、ゲイロード・ペリー選手だ。

ペリー選手はジャイアンツ含め8球団でプレー。メジャー生活22年間において777試合に登板し314勝265敗10S、防御率3.11の成績を残している。サイ・ヤング賞を両リーグで獲得した初めての投手でもある。また、1983年に現役を引退し1991年にはアメリカ野球殿堂入りを果たした人物だ。

このペリー選手は優れた成績を残した選手ではあるが、違反投球とされている『スピットボール』を多用していた。スピットボールとは、ボールにワセリンなどをつけ細工し変化球の曲がりを大きくすることだ。
ペリー選手は、この違反投球をしている事実を逆手に取り打者を翻弄していた逸話もあるほどだ。引退後には自伝で『私とスピットボール』を出版しておりアメリカで話題となった。

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