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ヤクルトは監督を2人輩出、ホワイトソックスでは永久欠番 プロ野球における背番号35の選手たち

2023 7/8 06:00SPAIA編集部
中日の木下拓哉、楽天の島内宏明、巨人の門脇誠,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「35」

2023年各球団の背番号「35」は下記の選手が背負っている。

オリックス:比嘉幹貴投手
ソフトバンク:リバン・モイネロ投手
西武:若林楽人外野手
楽天:島内宏明外野手
ロッテ:田中晴也投手
日本ハム:福田光輝内野手

ヤクルト:杉山晃基投手
DeNA:橋本達弥投手
阪神:才木浩人投手
巨人:門脇誠内野手
広島:三好匠内野手
中日:木下拓哉捕手

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:1球団
内野手:3球団
外野手:2球団

投手、野手どちらも着用することがある背番号「35」。2023年シーズンでは投手が6球団で最多となっている。新人ではロッテのドラフト3位・田中晴也、DeNAのドラフト5位・橋本達弥、巨人のドラフト4位・門脇誠の3選手が着用。トレードで加入した日本ハムの福田光輝も今季から背負っている。

阪神・才木浩人は須磨翔風高から2016年ドラフト3位で入団し、高卒2年目の2018年に6勝を挙げたが、2020年オフにトミージョン手術を受けて一時は育成契約となった。背番号も「121」に変更したが、2022年5月に支配下登録に復帰し、7月3日の中日戦で1159日ぶりとなる復活勝利を挙げた。

キューバ出身のソフトバンク・モイネロは、2017年シーズン途中に育成契約から支配下登録を勝ち取り、背番号「35」を手に入れた。貴重な中継ぎ左腕として活躍している。

野手に目を向けると、楽天・島内宏明がこの番号だ。明治大から2011年ドラフト6位で入団し、6年目の2017年にフル出場するなどレギュラーとして活躍。2021年に打点王に輝いている。

そんな背番号「35」を着用していた日米の名選手や特徴的な球団の系譜を、次章以降で紹介していく。

巨人の背番号「35」

巨人の初代背番号「35」は藤本英雄だった。藤本は1942年、1943年の2シーズンをこの番号でプレーしており、特に1943年の成績は圧巻だった。

56試合に登板し19完封を含む34勝11敗、防御率0.73、253奪三振、勝率.756を記録。最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得した。この年に記録した19完封、防御率0.73は現在もプロ野球記録として残っている。

その後、多くの選手が「35」を背負った。淡口憲治、清水隆行、亀井義行といった実績のある選手も着用。2010年から2018年までは西村健太朗が背負った。

広陵高時代にセンバツ優勝した西村は、中継ぎ、抑えとして活躍。2013年には42セーブをマークし、最多セーブのタイトルを獲得、リーグ優勝に大きく貢献した。巨人の背番号「35」を着用した投手では、藤本以来のタイトル獲得だった。

2017年に中継ぎとして45試合に登板するなど故障から復活したが、2018年に引退。通算38勝34敗81セーブ77ホールドの成績を残した。

ヤクルトの「35」は監督に?

ヤクルトの小川淳司前監督の現役時代の背番号は「35」だった。小川は習志野高のエースとして1975年夏の甲子園で全国制覇。中央大学で外野手に転向し、日米野球の日本代表に選ばれるなど実績を残した。その後、社会人野球の河合楽器を経て、1981年ドラフト4位でヤクルトに入団する。

プロ入り後、規定打席に到達することはなかったものの、ヤクルトで10年、日本ハムで1年の計11年間の現役生活を送った。

現役引退後はスカウトに転身し、1996年から二軍守備走塁コーチ、二軍監督、一軍ヘッドコーチなどを歴任。2010年途中に高田監督の辞任を受けて代行として指揮を執り、2011年から正式に監督就任、2014年まで指揮を執った。

その後再びフロントに戻りシニアディレクターを務めたが、2018年から2年間、再び監督して指揮。監督を2度務めたことからも人望の厚さがうかがいしれる。

2020年に楽天で指揮を執った三木肇現二軍監督も、現役時代にヤクルトで「35」を背負っていた。ヤクルトの「35」から、後の監督が2人も誕生したことになる。現在は2019年ドラフト3位で入団した杉山晃基が背負っている。

20勝をマークするも現役引退したマイク・ムッシーナ

ボルチモアオリオールズ、ニューヨークヤンキースで活躍したマイク・ムッシーナ。メジャーデビューを果たした1991年を除いて背番号「35」でプレーしていた。ムッシーナはデビュー2年目となる1992年に18勝をマークし、オールスターにも出場。一流投手の仲間入りを果たした。

ムッシーナは初の2桁勝利から引退する2008年まで17年連続2桁勝利を達成し、引退した2008年に20勝を挙げるなど通算270勝をマーク。引退した年に20勝は1966年のサンディー・コーファックス以来42年ぶりだった。

ゴールドグラブ賞を7回受賞しているものの、投手タイトルは1995年の最多勝1度のみ。飛び抜けた成績はなかったが、高いレベルで安定した活躍をしていた。2019年にアメリカ野球殿堂入り。ムッシーナは学業も優秀で、スタンフォード大学を主席で卒業していることでも有名だ。

ホワイトソックスのレジェンドでもあるフランク・トーマス

メジャーリーグにおけるレジェンドのひとりでもあるフランク・トーマス。MLB通算本塁打521本塁打を放ったスラッガーだ。

トーマスは1990年にシカゴホワイトソックスでメジャーデビュー。翌1991年からレギュラーに定着し、2005年までの16年間をホワイトソックスで過ごす。その間にMVP2回、首位打者1回を獲得。ただ、2005年のワールドチャンピオン達成時は故障で離脱しており、ポストシーズンは1試合も出場できなかった。

翌2006年からはホワイトソックスを離れ、オークランドアスレチックス、トロントブルージェイズ、再びアスレチックスとわたり歩いたが、往年の力は残っておらず2008年にプレーしたのが最後となった。

その後、2010年2月に正式に引退を表明。同時に背番号「35」はホワイトソックスの永久欠番となった。通算2322試合に出場し、2468安打、1704打点をマーク。2014年には野球殿堂入りを果たしている。

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