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宮崎県を盛り上げろ!宮崎県出身の現役プロ野球選手5名を一挙ご紹介

2017 10/13 11:07tomon
宮崎県
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Photo by srattha nualsate / Shutterstock.com

2017年のペナントレースが始まり、徐々に盛り上がりを見せてきたプロ野球。 どのチームが優勝するか楽しみだ。また、どの選手が活躍するか、都道府県別の傾向はあるのだろうか? ここでは、宮崎県出身の選手5名を取り上げてみた。

笑顔がセールスポイント。福岡ソフトバンクホークスの武田翔太選手

武田翔太選手は、宮崎市出身の投手。小学生の時にソフトボールを始め、中学生の時に軟式野球に転向して県大会で優勝した。その頃すでに142kmを記録するほどの剛腕投手で、宮崎日大高校時代には「九州のダルビッシュ」と呼ばれ注目を浴びるほどの活躍ぶりだった。
その後、2012年に福岡ソフトバンクホークスに1位指名されて入団した。この年の7月にはプロ入り初登板初勝利を果たし、次々に高卒新人としての記録を更新して最終的には8勝1敗、防御率1.07で優秀新人賞として特別表彰を受けている。
2015年はチームの日本一に貢献し、2016年は自己最多の14勝を挙げるなど、今では福岡ソフトバンクホークスのエースだ。

バンザイ投法。中日ドラゴンズの浜田智博選手

浜田智博選手も宮崎市出身の投手だ。宮崎工業高校時代には3年で春のセンバツ大会に出場し、2安打完封勝利を挙げるなどの活躍ぶりだった。九州産業大学時代には、3年の春に無安打無得点試合を達成し、4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8、秋には明治神宮野球大会出場も経験した。
2015年、ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団した。その年の4月に1軍登録され、プロ初登板を経験したが、ほとんど2軍で過ごし、思うような結果は残せなかった。2017年度からは育成選手として契約更新されたが、独自の変則フォームである「バンザイ投法」で本来の力を発揮できることを期待したい。

選球眼ではピカイチ!横浜DeNAベイスターズの下園辰哉選手

下園辰哉選手は宮崎市出身の外野手だ。宮崎日本大学高校では1年生からレギュラーで外野手、2年の春には九州大会で優勝を経験した。その後、九州国際大学に進学し、1年生からレギュラーで、九州六大学リーグではベストナインや打点王、首位打者など数々の賞を獲得し、リーグ通算114安打の連盟新記録も達成するほどの活躍ぶりだった。
そして、2007年に大学生・社会人ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団した。その後は、故障もあり2軍で過ごすこともあったが、成績は良く、2016年には選球眼の良さが功を奏して打率は.400を記録。チームをクライマックスシリーズ出場へ導いた1人だった。

プロ最速157km/h。福岡ソフトバンクホークスの寺原隼人選手

寺原隼人選手は、宮崎市出身の投手だ。父や兄の影響で小学3年から軟式野球を始め、5年でエースになった。中学2年の秋と3年の夏に県大会で優勝し、全国大会へも出場した。その後、日南学園高校へ進学すると、さらに成長して3年の夏には甲子園出場を果たし、体調不良にもかかわらず154km/hを計測して当時の甲子園記録を更新するほどの快挙だった。
2002年にドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団し、その年の春季キャンプやオープン戦の予告先発では記録的な集客で「寺原フィーバー」に沸いた年になったのだ。それから、横浜ベイスターズ、オリックス・バファローズと移籍し、2013年に再び福岡ソフトバンクホークスへ復帰。2016年は主にリリーフとして活躍した。

スローカーブが武器。読売ジャイアンツの田原誠次選手

田原誠次選手は、延岡市出身の投手だ。小学3年の時にソフトボールを始め、中学では軟式野球部に所属していた。聖心ウルスラ学園高校の2年より投手へ転向し、サイドスローを習得したが、チームは甲子園の経験はない。卒業後は三菱自動車倉敷オーシャンズへ入団し、2年目より主戦力となり、4年目では第82回都市対抗野球大会の本戦出場を果たす活躍ぶりだった。
そして、2012年にドラフト7位指名で読売ジャイアンツに入団し、その年にはプロ入り初登板、初先発、初勝利を飾るという好スタート切った。翌年からはケガで戦列を離れることもあったが、2016年はシーズン通じて1軍で、64試合出場は自己最多記録だった。

まとめ

宮崎県は、温暖な気候に恵まれているおかげで、プロ野球のキャンプ地としておなじみだ。 その影響もあるのか、多くのプロ野球選手を輩出している。 2017年も、ご紹介した選手はもちろん、紹介しきれなかった選手の活躍を祈るばかりだ。