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少数精鋭、佐賀県出身のプロ野球選手と監督について

2017 10/13 11:07ryo_o
佐賀県
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Photo by srattha nualsate / Shutterstock.com

佐賀県出身の現役プロ野球選手・監督の数は決して多くはない。 しかし、2人の現役監督に加え、巨人の長野久義選手やロッテの高濱卓也選手など、ドラフト1位で指名されている選手が活躍している。 そんな少数精鋭の佐賀県出身のプロ野球選手を見てみよう。

悲劇のドラフト1位、高濱卓也選手

高濱卓也選手は弟の高濱祐仁選手もともにプロ入りしている。 佐賀県内の中学校でプレーしていた当初は、県内の高校への進学を希望していたが、名将・渡辺元智監督率いる横浜高校への進学を最終的には決断する。
横浜高校ではスター街道を歩み、1年生の時からショートのレギュラーの座を不動のものとし、後にプロ入りする福田永将選手、佐藤賢治選手といった1学年上の先輩と共に、2年春には選抜大会優勝を経験している。

2007年、中田翔選手のはずれ1位で阪神タイガースに入団し、将来を嘱望されるが、ひざのけがとの戦いが続き、中々芽が出なかった。
3年目の2011年にキャンプから結果を残し、1軍に帯同する。鳥谷敬選手の後継者と目されたが、その年千葉ロッテからFA宣言していた小林宏投手がメジャーリーグ挑戦を探り、阪神球団もその結果を待って獲得に乗り出したため、異例のキャンプ中の人的補償、ということで千葉ロッテマリーンズに移籍した。
その時のロッカーで泣いたストーリー等は数多くニュースで取り上げられた。
現在は一軍には定着しているものの、そのポテンシャルからすれば、更なる活躍が待ち望まれる選手といえるだろう。

巨人の主力長野久義選手

長野選手は、筑陽学園を卒業するまで地元の佐賀県ですごした。甲子園出場経験はないものの、高校卒業時にもプロ入りの誘いを受けるほど、そのポテンシャルは注目されていた選手だ。
日本大学へ進学後、4年生の時に急成長を遂げ、春・夏連続で打率4割以上を記録して首位打者となり、打撃だけではなく、俊足・強肩も買われ、一躍プロ注目の選手になった。

この年、北海道日本ハムからドラフト4位指名を受けるが、兼ねてより、読売巨人軍入りを希望していたこともあり、プロ入りを拒否する。
社会人のホンダに進むが、2年後のドラフトでも思いは叶わず、千葉ロッテに2位指名され、これも入団を拒否する。
社会人3年目には、巨人が早い段階で1位指名を公表したこともあり、ようやく念願かなっての巨人入りが果たされる。 その後、守備でも評価を高め、打撃部門のタイトル獲得はないものの、巨人軍の主力として活躍している。

広島を優勝へ導いた緒方孝市監督

2016年セリーグを席巻し、広島東洋カープを25年ぶりのセリーグ制覇に導いた緒方監督も佐賀県・鳥栖市の出身だ。
鳥栖高校から1986年のドラフト3位で広島に指名された緒方監督は、早くから頭角をあらわし、レギュラー候補と期待されるが、同時期に活躍した悲劇の天才・前田智徳選手と同様、けがに泣かされることが続いた。
1995~1997年まで3年連続で盗塁王に輝き、俊足・広い守備範囲で5年連続ゴールデングラブ賞に輝いただけでなく、3割30本出塁率4割といった打撃面素晴らしい結果を残した。

1999年にFA権を取得した際には、福岡ダイエー・巨人などが獲得に名乗りを上げていたが、最終的に広島に残留し、結果として広島一筋で現役生活を終えている。
その後、野村謙二郎監督の後を受けてOBとして広島の監督に就任し、2016年、見事にリーグ制覇を成し遂げ、2017年も引退した黒田投手の穴を感じさせない快進撃、名将への道を着実に歩んでいる。

まとめ

このように、佐賀県出身の選手は決して多くはないが、ここで述べた選手以外にも例えば埼玉西武の辻発彦監督も佐賀県出身など、少数精鋭の選手がプロ野球界で活躍している。個性的な選手が多いので、佐賀県出身の選手・監督はこれからもプロ野球界をにぎわしてくれることだろう。