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【2000年代前半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 9/13 14:03cut
ホームベース
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2000年:15年目で初の打撃タイトル獲得!畠山和洋選手

1球団最大2名までの逆指名が認められていた2000年ドラフト会議。2017年シーズン中に、名球会入会資格となる2000本安打を達成した阿部慎之助選手も、逆指名により読売ジャイアンツへ入団した。高校生のために逆指名ではないが、セ・パ両リーグで首位打者を獲得している内川聖一選手もこのドラフトで横浜ベイスターズへと入団を果たしている。

また、祖父が巨人の選手だったこともあり巨人入りを熱望していた内海哲也選手をオリックス・ブルーウェーブが強行指名。内海選手は入団拒否し東京ガスへ進んでいる。

この年の下位指名では中島裕之(現:宏之)選手がドラフト5位で西武ライオンズから指名された。所属していた兵庫県の伊丹北高校は全国的に無名でもあり驚きの指名だった。しかし、中島選手は西武を代表する遊撃手に成長しメジャーリーグへ挑戦。メジャーデビューを果たすことはできなかったが、オリックスに戻り2017年現在もプレーしている。

2015年に打点王を獲得し14年ぶりのリーグ優勝に貢献した畠山和洋選手もこの年のドラフトだ。専大北上高校からドラフト5位で指名され、15年目に初のタイトルを獲得した。2017年はケガで戦列を離れているが2018年以降に期待が掛かる。

2001年:高橋聡文選手はFAを獲得し移籍後も活躍

この年から1球団最大2名までの自由獲得枠が認められることになった2001年のドラフト会議。2017年も現役で活躍している選手では青山学院大学の石川雅規選手がヤクルトスワローズへ、青森大学の細川亨選手が西武ライオンズへと入団した。

自由獲得枠ではない上位指名選手では、寺原隼人選手が1巡目において4球団競合の末に福岡ダイエーホークスが交渉権を獲得。また、ダイエーは杉内俊哉選手も3巡目で指名し左右の軸となり得る投手を獲得した。西武は2巡目で中村剛也選手、4巡目で栗山巧選手と2017年現在も主力として活躍する選手を手に入れている。

下位指名組でブレイクを果たしたのは、中日ドラゴンズ8巡目指名の高橋聡文選手だろう。入団3年目となる2004年に一軍デビューを果たすと中継ぎとして活躍。タイトルの獲得はないものの、落合博満監督時代の中日を支える存在であったことは間違いない。2015年オフにFA宣言の末、阪神タイガースへと移籍。移籍後も変わらぬ活躍を続けている。

2002年:11巡目指名の木村昇吾選手が未だに現役!

各球団最大2名までの自由獲得枠が認められていた2002年のドラフト会議。この年のドラフトは「松坂世代」と呼ばれる1980年生まれ世代の大学生組が話題となった。2017年現在も主力として活躍している選手では、和田毅選手が福岡ダイエーホークス、村田修一選手が横浜ベイスターズをそれぞれ逆指名している。

また、高校生では高井雄平選手(現・雄平)がヤクルトスワローズ、西岡剛選手が千葉ロッテマリーンズから1巡目指名を受け入団した。

この年の下位指名で大活躍を見せたのは阪神から5巡目で指名された久保田智之選手だろう。久保田選手は入団当初、先発・中継ぎ双方で起用されていたが、2005年からは中継ぎに専念。ジェフ・ウイリアムス選手、藤川球児選手とともに「JFK」と呼ばれる勝利の方程式を結成。リーグ優勝に大きく貢献した。2007年にはプロ野球記録となる90試合に登板。最優秀中継ぎのタイトルも獲得している。

また、横浜ベイスターズが11巡目で指名したのが木村昇吾選手だ。木村選手は横浜から広島東洋カープを経て埼玉西武ライオンズへ移籍。ユーティリティープレーヤーとして2017年も現役生活を続けている。

2003年:7巡目指名から日本代表選手が!

前年(2002年)同様に各球団2名までの自由獲得枠が認められていた2003年のドラフト会議。鳥谷敬選手、内海哲也選手、糸井嘉男選手がそれぞれ阪神タイガース、読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズへ入団を果たした。糸井選手は阪神に移籍し鳥谷選手とともに2017年シーズンもプレーしている。

この年の下位指名選手でルーキーイヤーからブレイクを果たしたのが三瀬幸司選手だ。福岡ダイエーホークスから7巡目指名を受けNTT西日本中国野球クラブから入団を果たした三瀬選手。ルーキーイヤーから中継ぎとして活躍。チーム事情もあり、抑えに抜擢されると28セーブをマークし最優秀救援投手のタイトルを獲得。新人王も受賞している。その後、トレードで中日ドラゴンズへ移籍。2014年まで現役を続けている。

また、GG佐藤選手こと佐藤隆彦選手も西武ライオンズから7巡目で指名を受け入団。捕手としてのプロ入りだったが、外野手へコンバートされ日本代表入りも果たしている。西武からイタリアへ移籍、晩年は千葉ロッテマリーンズでプレー。2013年現役を引退。お立ち会いなどで「キモティー」と絶叫するパフォーマンスでも注目を集めていた。

2004年:移籍後に活躍を果たしている赤松真人選手

各球団2名までの自由獲得枠が認められていた2004年ドラフト会議。2017年シーズンも活躍する選手でも自由獲得枠から入団した選手はいる。オリックス・バファローズの金子千尋選手、阪神タイガースの能見篤史選手らだ。

また、1位指名で入団後にもっとも活躍を果たしているのは、北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有選手(現・ドジャース)だろう。1年目の後半からローテーションに入ると2年目からはエース格に成長。5年連続で防御率1点台を記録するなど、日本球界ナンバーワン投手としてメジャーリーグに移籍。メジャーリーグでも同様の活躍を見せている。

この年の下位指名では阪神タイガースが6位で赤松真人選手を指名。新井貴浩選手のFA移籍に伴い人的補償として広島東洋カープへ移籍。代走などで活躍している。2016年シーズンオフに胃がんを公表。2017年はリハビリを行っており、復帰が待たれている。

2017年シーズンから東京ヤクルトスワローズへ移籍し、代打の切り札として活躍する大松尚逸選手もこの年のドラフトだ。千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け入団。左の大砲候補として期待され2008年には24本塁打を記録した。2010年までレギュラー格として活躍するもその後は出番が減少。2016年シーズン中にアキレス腱を断裂。その後、コーチへの打診を断り自由契約を経て移籍した苦労人だ。