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【2000年代後半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 9/13 14:03cut
野球,バッター
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2005年:育成ドラフトから山口鉄也選手が入団

高校生ドラフトと大学生・社会人ドラフトの分離ドラフトとして行われた2005年のドラフト会議。高校生ドラフトの目玉は「浪速の四天王」と呼ばれた大阪府出身の4名だった。なかでも、150キロを超えるストレートを投じていた大阪桐蔭高校の辻内崇伸選手に注目が集まった。その辻内選手はオリックス・バファローズと読売ジャイアンツが競合。抽選の末に巨人が交渉権を獲得している。

希望入団枠制度が用いられていた大学生・社会人ドラフトの上位では福岡ソフトバンクホークスが松田宣浩選手、オリックスが平野佳寿選手と第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表となった選手を獲得した。

この年のドラフトで下位指名からもっともブレイクした選手は、巨人の山口鉄也選手だろう。山口選手は巨人の入団テストを受けた上でドラフト指名されたが、支配下ではなく育成ドラフトだった。しかし、入団2年目となる2007年に支配下登録を勝ち取ると32試合に登板。中継ぎとしての地位を確保する。翌2008年からは9年連続で60試合以上に登板し270ホールドをマーク(2016年終了時点)。この数字はプロ野球記録となっている。

2006年:下位指名から2名の首位打者が誕生

前年に引き続き、高校生ドラフトと大学生・社会人ドラフトの分離ドラフトとなった2006年。高校生ドラフトでは駒大苫小牧高校の田中将大選手が4球団、愛工大名電高校の堂上直倫選手が3球団、八重山商工高の大嶺祐太選手、鷺宮高校の増渕竜義選手がそれぞれ2球団競合となった。その他には坂本勇人選手らもこの年のドラフトで入団を果たしている。

大学生・社会人ドラフトでは岸孝之選手が西武埼玉ライオンズ、嶋基宏選手が東北楽天ゴールデンイーグルスへと入団を果たした。

下位指名からは2名の首位打者が誕生している。千葉ロッテマリーンズに7巡目で指名された角中勝也(かくなか かつや)選手、福岡ソフトバンクホークスに5巡目で指名された長谷川勇也選手だ。

両選手ともに巧みなバットコントロールを武器に安打を量産。角中選手は2012年、2016年、長谷川選手は2013年にパリーグの首位打者を獲得している。角中選手は独立リーグ、長谷川選手は大卒と即戦力としての期待もある中ですぐには開花しなかった。しかし、デビューから数年後に首位打者を獲得するほどにまで成長したのだ。

2007年:分離ドラフト最終年も両ドラフト下位指名から有力選手が!

分離ドラフト最終年となった2007年ドラフト会議。高校生、大学生ともにビッグ3が注目を集めていた。「高校生ビッグ3」の中田翔選手、唐川侑己選手、佐藤由規選手はそれぞれ北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、東京ヤクルトスワローズが抽選で当たりを引いた。「大学生ビッグ3」は長谷部康平選手、大場翔平選手、加藤幹典選手は東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズが交渉権を獲得している。

両ドラフトともに人気選手が多かったこのドラフトだが、下位指名選手からもブレイクした選手は誕生している。そのひとりが、広島東洋カープから大学生・社会人ドラフトで4巡目指名を受けた松山竜平選手だ。九州国際大学から入団を果たした松山選手は4年目となる2011年から一軍に定着。おもに代打の切り札としてハイアベレージを残してきた。2016年も103試合に出場し打率.291(254打数74安打)、10本塁打、41打点の成績を残し優勝に貢献。「アンパンマン」のニックネームでファンからも親しまれている。

高校生ドラフトでは埼玉西武ライオンズ4巡目の武隈祥太選手がブレイク筆頭だ。入団直後は高卒ということもあり、出番は少なかった。しかし、2014年から左の中継ぎとして一軍に定着。2015年(67試合)、2016年(64試合)と2年連続で60試合以上に登板するなどフル回転している。

2008年:日本ハムの下位指名が大当たり!

「超大物」と呼ばれる選手が不在だった2008年のドラフト。前年で分離ドラフトが終了し、再び高校生、大学生、社会人が同じドラフト会議で指名されることになった。このドラフトでは下位指名選手から大きく飛躍を遂げた選手が多い。

北海道日本ハムファイターズはドラフト5位・中島卓也選手、6位・杉谷拳士選手、7位・谷元圭介選手と下位指名において主力選手を3人獲得。2016年シーズン優勝の立役者を同時に手に入れた格好だ。

千葉ロッテマリーンズは育成ドラフトが大当たりとなった。5位・西野勇士選手、6位・岡田幸文選手を指名。それぞれ支配下登録を勝ち取った。西野選手は守護神を経て2014年の日米野球において日本代表入りも果たしている。岡田選手は絶大な守備範囲を誇り、2011年、2012年と2年連続でゴールデングラブ賞を獲得。球界を代表する守備の名手に成長した。

福岡ソフトバンクホークスはドラフト5位で攝津正(せっつ ただし)選手を指名。1年目から70試合に登板し、34ホールドをマーク。最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得している。その後、先発に転向し2012年には沢村賞を受賞。リーグを代表する投手へと飛躍を遂げた。

このように、この年は下位指名からチーム、リーグを代表する選手が生まれた年でもあったのだ。

2009年:ドラフト5位から日本一の立役者へ!

菊池雄星選手がメジャーリーグ挑戦を打ち出していた2009年のドラフト会議。会議前に国内の選択をした菊池選手に指名は集中。6球団競合となり埼玉西武ライオンズが交渉権を獲得し入団に至っている。また、日本の主砲である筒香嘉智選手も横浜ベイスターズから1位指名を受け入団を果たした。

高校生の注目選手が上位で指名され、結果を残している中で下位指名からブレイクを果たした選手もいる。北海道日本ハムファイターズ5位指名の増井浩俊選手だ。社会人野球の強豪・東芝からプロ入りを果たすと初年度となる2010年は先発として起用され3勝(4敗)。翌2011年から中継ぎへ転向し、2012年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。その後、クローザーを任され守護神としてチームを支えてきた。2016年はシーズン途中に先発へ転向。先発転向後に7連勝を記録するなど、自身初の二ケタ勝利を挙げリーグ優勝、日本一に貢献している。また、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも日本代表として世界の舞台で戦った。

このように各年度ドラフト下位指名からでもチームの主力選手となり活躍をしている選手は多くいるのだ。