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元祖二刀流でもある関根潤三選手【球史に名を残した偉人達 】

2017 8/25 10:07cut
野球、ボール
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現役時代は投打で活躍

プロ入り1年目から投手として起用されながらも、登板のない日には野手としても試合に出ていた関根選手。投手としては創設間もない近鉄のエース格としてチームを支えていた。4年目となる1953年に初の二ケタ勝利(10勝)を達成し投球回数も219回、防御率3.16の成績を残している。翌1954年には16勝12敗、232回を投げ防御率2.44とキャリアハイの成績を残した。初めてチームも4位(8チーム中)となり勝ち越し(74勝63敗3分)をマークした。

このシーズンが関根選手にとって唯一の勝ち越しとなっており、翌年も14勝を挙げたものの16敗と負け越しとなった。1956年シーズン終了で投手から本格的に野手へと転向を決意。

翌1957年からはレギュラー野手として右翼を守ることとなり、主にクリーンナップとしてチームに貢献。打率.284(429打数122安打)、6本塁打、39打点と野手転向1年目から好成績を残している。1962年には打率.310(465打数144安打)と初めて打率3割を超えるなど1964年まで近鉄の主力として活躍。

1965年に巨人へと移籍するとプロ入り16年目で初めてリーグ優勝、日本一を経験する。しかし、この年限りで現役を引退。16年間の現役生活に別れを告げた。

元祖二刀流友呼べる関根選手

現在、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手が「二刀流」で世間を賑わせている。その、大谷選手2014年には11勝(4敗)、10本塁打と日本球界初となる二ケタ勝利二ケタ本塁打を達成した。これはメジャーリーグを見渡しても1918年のベーブ・ルース選手以来(13勝、11本塁打)となる。

関根選手は大谷選手のように同一シーズンで二ケタ勝利、二ケタ本塁打を達成したことはない。しかし、1953年から1955年まで3年連続で二ケタ勝利をマーク。打者転向後の1963年には12本塁打をマークしている。通算成績では野手として打率.279(4078打数1137安打)、59本塁打、424打点。投手として244試合で65勝94敗、645奪三振を記録している。2016年終了時点で50勝、1000本安打達成は関根選手が唯一の存在となっているのだ。(2リーグ制以降)

関根選手は投手としてプロ入り後に限界を感じ野手へ転向したが、投手時代からも打撃成績はよかった。1950年の入団から1956年まで本格的に投手を行っていたが、最低打率.248(129打数32安打)と野手顔負けであった。(1957年はほぼ野手に転向しており投手としては2試合のみの登板)1952年、1953年には2年連続で打率3割をマークしている。

このように関根選手は1950年代に既に二刀流として成功していたといえる選手だったのである。

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