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「神様・仏様・稲尾様」こと稲尾和久選手【球史に名を残した偉人達】

2017 8/25 10:07cut
野球、ボール
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監督としては優勝を手にできず

稲尾選手は1969年に現役を引退し翌1970年から西鉄の監督へと就任する。若干33歳での専任監督となった。しかしその1年目は前年度の成績(5位51勝75敗4分)を下回り、43勝78敗9分で首位から34ゲーム差の最下位となってしまう。選手時代のように初年度から大きな活躍をすることはできなかった。

翌1971年に立て直しを図るものの38勝84敗8分、勝率.311とチーム史上最低の勝率でシーズンを終える。この勝率は2016年終了時点でも更新されておらず、球団ワースト記録である。1974年まで監督を続けるが5割を突破することが1度もできず、5年連続でBクラスとなり退任となった。

1975年から現場を離れたが、1978年に中日のコーチに就任し3年間で小松辰雄選手などを育てている。1984年にはロッテの監督へと就任。西鉄時代とは異なり、1年目から64勝51敗15分と5割を超え2位につけ、3年間で2度のAクラスを達成。しかし、優勝を手にすることはできなかった。
1986年の4位を最後に監督を退任すると、以降は現場に復帰することはなく解説者、マスターズリーグの福岡ドンタクズの監督として活躍していた。また、1993年に野球殿堂入りを果たしている。

2007年に亡くなっているが、2012年に現役時代の背番号「24」が永久欠番になるなど、その影響力は現代まで続いている。

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