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「神様・仏様・稲尾様」こと稲尾和久選手【球史に名を残した偉人達】

2017 8/25 10:07cut
野球、ボール
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神様仏様稲尾様と呼ばれた1958年

1956年、1957年と日本一を達成した西鉄の、中心選手となった稲尾選手。新人から2年間で56勝を挙げる大活躍し、日本シリーズでも5勝をマークするなど、チームに欠かせない戦力となっていた。しかし、最も印象的な投球を見せたのは3年目となる1958年の日本シリーズだろう。

1958年は長嶋茂雄選手(巨人)が立教大学からプロ入り。開幕戦で国鉄(現ヤクルト)の金田正一投手から4打席連続三振を喫するなど、大いにプロ野球が盛り上がった年でもある。

2連覇後であった西鉄は、開幕から上位争いを繰り広げるものの、シーズン終盤まで南海(現ソフトバンク)に首位を走られていた。南海の原動力は長嶋選手と同級生でもある、ルーキーの杉浦忠選手だった。杉浦選手は2年前の稲尾選手を上回る27勝をマークするなど大活躍し、王者西鉄も優勝が危ういとされていた。しかし、シーズン終盤に13連勝を達成し、逆転でリーグ優勝を達成。

3年連続で日本シリーズに駒を進めている。このシーズンに稲尾選手は72試合に登板し33勝10敗、334奪三振、防御率1.42の記録を残し最多勝、最優秀防御率、最多奪三振(当時表彰なし)のタイトルを獲得。2年連続のMVPを受賞した。入団から3年連続となる最優秀防御率のタイトル獲得が、稲尾選手の安定度をうかがわせてくれている。

日本シリーズの相手は3年連続で「水原巨人」だった。2年連続で日本シリーズ敗退となっている巨人は、3連勝とあと一歩のところまで「三原西鉄」を追い詰める。しかし、第4戦が雨で順延となると流れが西鉄に傾いた。

順延となった第4戦から第7戦まで稲尾選手が先発、中継ぎでフル回転。史上初となる3連敗からの4連勝を達成。稲尾選手は4勝をマークし「神様、仏様、稲尾様」と新聞などに取り上げられMVPに輝いたのだ。

シーズン最多記録となる42勝

1956年の1年目から1963年まで8年連続で20勝を達成している稲尾選手。1961年には現在のプロ野球では更新がほぼ不可能ともいえる42勝をマーク。パリーグ記録となる4度の最多勝を獲得するなど、1969年までの14年間で通算276勝(137敗)という記録を残している。

1950年代、1960年代のプロ野球は2000年代とは違い、エースと呼ばれる投手は先発、中継ぎと絶え間ない登板を余儀なくされ連投や中1日、中2日での登板も珍しくなかった。稲尾選手もその例に漏れずシーズン、日本シリーズと酷使され故障に至る。1964年にプロ入り後初の未勝利に終わると以降は引退まで中継ぎメインで登板。1965年から1969年までの晩年は5年間で42勝に終わっている。

「鉄腕」稲尾選手でも、故障による衰えから逃れることはできなかった。

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