「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

選手・監督で阪神に貢献した岡田彰布氏【球史に名を残した偉人達】

2017 8/25 10:07cut
野球、ボール
このエントリーをはてなブックマークに追加

バックスクリーン3連発を放つなどチームの主力選手へ

入団1年目となる1980年に新人王を獲得した岡田選手。翌1981年からはレギュラーを獲得し、掛布雅之選手、真弓明信選手、バース選手らとともにチームを支えてきた。その主力選手達が揃って活躍したのが、1985年だ。

この年の開幕4戦目となった阪神対巨人の一戦は甲子園球場で行われた。1-3と2点ビハインドで迎えた7回裏阪神の攻撃。ランナー2人を置いてバース選手が、バックスクリーンへ飛び込むシーズン第1号3点本塁打を放ち4-3と逆転。続く掛布選手もカウント1ボール1ストライクからの3球目をバックスクリーンへ本塁打。5-3とリードを2点差に広げる。この場面で打席に入った岡田選手もバース選手、掛布選手に続きバックスクリーンへ本塁打を放ち3者連続本塁打が完成した。

序盤から阪神は勢いに乗り好調な打撃陣を中心としリーグ優勝を達成。バース選手が三冠王を獲得する中で岡田選手も打率.342、35本塁打、101打点と大活躍。打撃三部門で自身のキャリアハイを更新。チームに貢献した。

日本シリーズでも西武を4勝2敗で下し、球団創設以来初となる日本一を達成。岡田選手にとっても、もちろん初めての経験となった。以降も1993年まで阪神でプレーした後、自由契約となった。1994年から2年間オリックスで現役晩年を送っている。

「JFK」を確立した阪神監督時代

1995年に現役を引退した岡田選手は、翌1996年からそのままオリックスでコーチに就任。2年間務めたあと、1998年から古巣である阪神に二軍助監督として復帰した。1999年には二軍監督兼任二軍打撃コーチ、2000年に専任の二軍監督と徐々にステップアップ。2003年に一軍の内野守備走塁コーチとして初めて一軍のコーチとなった。

2003年に阪神は1985年以来のリーグ優勝を飾り、日本シリーズに出場。ダイエーに敗れ日本一は逃したものの、強い阪神が18年ぶりに戻ってきた。そのオフに星野仙一監督が監督を勇退。岡田コーチが後を受け継ぎ始めて一軍の監督となった。

リーグ優勝翌年の監督就任ということで、日本一への期待が掛かったもののまさかの負け越し。Aクラスにも入ることができず4位に終わっている。岡田監督が手腕を発揮したのは翌2005年だった。リリーフ投手の整備を行いジェフ・ウイリアムス選手、藤川球児選手、久保田智之選手の3人を終盤3回に配置し「勝利の方程式」を確立する。先発は6回まで試合を作れば逃げ切ることができる体制を整えた。

3人の頭文字をとって「JFK」と呼ばれたその方程式を駆使し、2003年以来2年ぶりの優勝を飾っている。日本シリーズではロッテに4連敗といいところがなかったが、中継ぎ陣を整備した手腕は大きく評価された。

優勝以降も2008年まで毎年上位を争いAクラス入りを果たしたが、終ぞ優勝には届かず退任となる。しかし5年間の監督生活でAクラス4回(優勝1回)という成績を残している。2リーグ制以降で4年連続Aクラス入りを達成した阪神の監督は、松木謙治郎監督、藤本定義監督以来3人目となる。

おすすめの記事