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歴代記録は更新不可能!?奪三振にまるわるアレコレ

2017 8/25 10:07cut
野球、ピッチャー
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シーズン最多記録は高卒2年目の江夏選手

プロ野球においてシーズン「最多奪三振記録」を持っているのは江夏豊選手(元西武他)だ。江夏選手は1966年ドラフト1位で大阪学院高校から阪神に入団。ルーキーイヤーから12勝13敗、230.1回を投げ225奪三振、防御率2.74の成績を残し最多奪三振を獲得している。(当時は表彰無し)
翌1968年には25勝12敗、329回を投げ401奪三振、防御率2.13で最多勝、最多奪三振を獲得。ベストナイン、最優秀投手、沢村賞を受賞した。この401奪三振が50年近く経った2016年シーズン終了時点でも日本記録だ。

歴代2位の記録は稲尾和久選手が1961年に達成した353奪三振となっており、江夏選手とは48個の差が付いている。また、300奪三振を超えたのは1970年の江夏選手が340個を記録したのが最後。46年間300奪三振の壁を超えられないのである。

近年では野茂英雄選手(近鉄他)が1990年、1991年に2年連続で287奪三振を記録。これが最も300奪三振に近づいた瞬間だ。現役選手では2011年にダルビッシュ有選手(日本ハム他)が276奪三振をマーク。日本最終年に自身キャリアハイの奪三振数を達成した。

日本プロ野球では1週間に1度投げる中6日のローテーションが定着しており、1シーズンで投げる試合は28試合程度だ。全試合で二ケタ奪三振を記録しても300奪三振には届かない。江夏選手の401奪三振はもとより、300奪三振も今後は達成がむずかしそうだ。

通算最多奪三振は金田選手が圧倒的数字!

「通算最多奪三振」は4490個の金田正一選手(元巨人他)が保持している。2位の米田哲也選手(元近鉄他)が3380個と1000個以上の差が付いており、その突出度は計り知れない。金田選手の記録には200奪三振を23年間記録し、ようやく追い越すことが可能な数字でもあり、事実上、更新は不可能といえる。

現役選手では、2016年終了時点で杉内俊哉選手(巨人)が2156奪三振で歴代14位。1980年生まれの杉内選手がどこまで記録を伸ばせるかに注目が集まる。

また、メジャーリーグに目を向けると「ライアンエクスプレス」の異名を取ったノーラン・ライアン選手(元レンジャーズ他)が5714奪三振を記録。2位のランディ・ジョンソン選手(元ジャイアンツ他)が4875奪三振と839個差が付いている。日本同様に奪三振記録は突出度が大きい。

日米通算記録ではダルビッシュ選手が2016年終了時点で2062奪三振。メジャーリーグは試合数が多いこと、および中4日のローテーションでまわることを考慮すると3000奪三振は届きそうだ。ダルビッシュ選手の奪三振に注目したい。

オールスターゲームの9者連続奪三振

シーズン「最多奪三振記録」を持っている江夏選手はオールスターゲームにおいても大記録を作っている。1971年、プロ入り5年目の江夏選手はすでに4年連続最多奪三振(当時表彰は無し)を記録。球界を代表するエースとして君臨していた。その江夏選手がオールスターで快挙を成し遂げた。

ファン投票で選出された江夏選手は迎えた第1戦でセリーグの先発投手としてマウンドに登る。初回パリーグは有藤通世選手(ロッテ)、基満男選手(西鉄)、長池徳二選手(阪急)と3者連続空振り三振と絶好の立ち上がりを見せた。

2回裏は江藤慎一選手(ロッテ)、土井正博選手(近鉄)、東田正義選手(西鉄)から1回同様に3者連続三振を奪う。東田選手からは、この日初めての見逃し三振となっている。

続く3回もマウンドに登った江夏選手は阪本敬三選手(阪急)、岡村浩二選手(阪急)、加藤秀司選手(阪急)からも3者連続三振。加藤選手の3球目では一塁側にファールが打ち上がったが、江夏選手は捕手に「追うな!」と叫び追わせなかった。その直後の球で空振りを奪い「9者連続三振」が記録された。

また、2回表に江夏選手は第1打席で3点本塁打を放つなど投打に渡り大活躍。MVPを獲得している。

1試合最多奪三振は19個!

プロ野球において「1試合最多奪三振記録」は1995年に野田浩司選手(オリックス)が達成した19奪三振だ。野田選手は1987年ドラフト1位で阪神へ入団。1992年オフにオリックスへトレードで移籍し、才能が開花した。阪神時代は投球回数以上の三振を奪ったことはなかった野田選手。決して三振を多く奪う投手ではなく1991年の143奪三振(212.2回)がキャリアハイだった。

しかし、オリックスに移籍した1年目は225回を投げ209奪三振。17勝(5敗)をマークし自身初のタイトルとなる最多勝を獲得している。1994年(213奪三振)、1995年(208奪三振)と3年連続で200奪三振を記録するなど球界を代表する投手へと成長。その野田選手は1995年4月21日のロッテ戦において1試合19奪三振のプロ野球記録を達成する。この記録は20年以上が経過した2016年終了時点でも更新されていない。

野田選手の武器は大きく落ちるフォークボールだ。当時、ヤクルトのを率いていた野村克也監督は「お化けフォーク」と称していた。晩年はヒジの故障もあり活躍できなかった野田選手だが、1試合19奪三振の記録は光り輝いている。

甲子園では1試合22奪三振という快挙!

甲子園において「1試合最多奪三振記録」(延長戦を除く)は桐光学園高校(神奈川県)の松井裕樹選手(楽天)が記録した22個だ。
2012年夏の選手権1回戦で松井選手率いる桐光学園は、今治西高校(愛媛県)と対戦。2年生ながらエースナンバー「1」を背負った松井選手は、2回まで1つの四球を与えたのみで奪ったアウトは全て三振だった。5回を終わった時点で無安打無得点投球を続け11奪三振の快投。奪三振記録、ノーヒットノーランへの期待が高まっていた。しかし、6回に初安打を許し夢は潰えてしまう。
ここで松井選手は緊張の糸が切れることなく、三振を量産。6回1死から9回2死まで10者連続三振を奪う。直後に安打を打たれるも最後の打者を三振に打ち取り、1試合22奪三振の快挙を成し遂げた。

また、延長戦を含む1試合最多奪三振記録は徳島商業高校(徳島県)の板東英二選手(元中日)が魚津高校戦(富山県)で記録した25奪三振となっている。この試合は延長18回引き分けとなっており、翌日に再試合が行われた。この大会で坂東選手は83奪三振を記録し、こちらも甲子園記録となっている。

プロ野球、メジャーリーグ、高校野球と奪三振記録が作られているが、更新がむずかしいものも多く、過去の偉大な投手達の記録には驚かされるばかりである。今後、これらの記録を塗り替える選手が現れるのか、注目したい。