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江川選手問題が勃発した1970年代後半のドラフトを振り返る

2017 8/25 10:07cut
野球、ボール
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1977年:法政大・江川選手をクラウンライターが指名

東京六大学通算47勝を挙げた「怪物」こと江川卓選手にとって、2度目のドラフトイヤーとなった1977年。4年前の作新学院高校時代は、阪急から1位指名を受けたが「進学表明」していたこともり入団拒否していた。強い巨人志望を打ち出していたことで他球団は指名しないと思われていたが、指名順1位のクラウンライターが強行指名。結果、江川選手は入団を拒否し「空白の一日」へと繋がっていく。

この年は江川選手一色のドラフトとなっているが、中位・下位指名からも後の名選手は多く生まれている。広島・4位の達川光男選手、ヤクルト・4位の尾花高夫選手が後の監督へ。また、大洋は3位で遠藤一彦選手、6位で屋敷要選手を指名し主力選手へと成長させた。

クラウンライターと江川選手の交渉は決裂。江川選手は南カリフォルニア大学で練習を行っていたが、翌1978年ドラフト会議の前々日に帰国。ドラフト前日に巨人と契約を行うという前代未聞の行動を起こす。これは当時、球団の交渉権はドラフトの前々日までとなっていたため「ドラフト前日は交渉可能」と巨人が主要したためだ。結果、江川選手の契約は認められず1978年のドラフト会議へと舞台は移すことになる。

1978年:巨人がボイコットし江川は阪神が指名

江川選手問題で巨人がボイコットした1978年のドラフト会議からは、入札方式に変更している。このドラフトでは、1位指名の南海、阪神、ロッテ、近鉄の4球団が江川選手へ入札、抽選の末に阪神が交渉権を獲得した。
江川選手は阪神への入団を拒否し、最終的に阪神へ入団後にトレードという形で巨人へ移籍。一連の騒動は終結した。しかし、この一件で江川選手にはダーティーなイメージが付いてしまったことは否めない。

江川選手と同じく4球団が入札したのは森繁和選手だ。西武、ヤクルト、中日、日本ハムによる抽選の末に西武が交渉権を獲得。9年間で57勝(62敗)82セーブを挙げる活躍を見せ、2017年に中日の監督へと就任している。

前年(1977年)に続いて江川選手の話題で持ちきりとなったドラフト会議だが、一番の出世頭はロッテが3位で指名した落合博満選手だ。ロッテに入団後3度の三冠王を獲得、中日の監督としても常勝軍団を築き上げた名選手、名監督は江川選手の陰に隠れているが同期入団なのだ。

また、巨人を除く11球団で指名した選手は合計44名。ドラフト史上最小の指名人数となっている。

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