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時代が違えば日本代表の正二塁手!?浅村栄斗選手

2017 8/25 10:07cut
野球コート
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大阪桐蔭では優勝の立役者に

大阪府で生まれ育った浅村栄斗(あさむら ひでと)選手は、名門大阪桐蔭高校へと進学。2年時に行われた2007年春のセンバツではベンチ入りを果たせなかったものの、翌2008年夏の選手権には背番号「6」で出場。1学年上の世代には中田翔選手(日本ハム)、岡田雅利選手(西武)が在籍していた。

1回戦から1番・遊撃で試合に出場すると、5打席連続安打を含む6打数5安打2打点の活躍を見せる。2回戦の金沢高校戦では、自身のミスで失点を許していたが、2本塁打を放ち試合は延長10回サヨナラ勝ち。

その勢いで勝ち進んだ浅村選手と大阪桐蔭高校は、決勝で常葉菊川高校と対戦。この試合でも3安打猛打賞を放つ活躍で勝利に貢献した。浅村選手はこの大会で6試合全てに出場し打率.552(29打数16安打)、2本塁打、4打点の成績を残し優勝の原動力となっている。

甲子園での活躍もありプロから注目を受けた浅村選手は、2008年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから3巡目指名を受けている。この年西武は、ドラフトの高校生指名を浅村選手しか行っておらず、この年西武に入団した唯一の高校生となった。
また、与えられた背番号「32」は松井稼頭央選手(現楽天)が、西武時代に背負っていた番号でもある。浅村選手は松井稼選手を尊敬している選手に挙げており、その背番号を受け継ぐこととなったのだ。

入団から3年でレギュラー獲得するもポジションは固定されず

ルーキーイヤーとなった2009年は一軍出場がなく、二軍で一年を過ごしている。二軍ではチームトップとなる99試合に出場。打率.219(347打数76安打)、3本塁打、27打点の成績を残している。高校時代は遊撃手でプレーしていた浅村選手だが、二軍では遊撃手(84試合)だけでなく、二塁(20試合)としてもプレーしている。

2年目となる2010年には開幕一軍切符を勝ち取り、プロ初打席で適時二塁打を放ち初打席、初安打、初打点を記録した。しかし、一軍に定着することはできずに年間を通じて30試合の出場に終わってしまう。浅村選手は打率.262(42打数11安打)、2本塁打、9打点の成績だった。一方、二軍では打率.278(263打数73安打)、5本塁打、28打点と一軍に帯同した期間があることにより、二軍の出場試合数は減少。しかし、打撃三部門の数字は上がっており、将来を期待させてくれる内容だった。

2011年は開幕戦で7番一塁手としてスタメン出場。3安打猛打賞の活躍を見せ結果を残すと、開幕から12試合連続安打を記録する。このスタートダッシュもあり4月は打率.392(51打数20安打)、0本塁打、5打点の成績をマーク。本塁打こそなかったが申し分ない結果だった。しかし、その反動からか5月は打率.169(65打数11安打)、2本塁打、4打点とシーズン初本塁打が出たものの調子は下降。

6月以降も調子のアップダウンはあったものの、年間を通じて137試合に出場。打率.268(437打数117安打)、9本塁打、45打点の成績を残した。スタメンでの出場は確保したもののポジションは固定されず一塁、二塁、三塁、左翼、右翼、指名打者として起用されていた。

2013年の大ブレイク

入団から3年目となる2011年にレギュラーとなった浅村選手が、大ブレイクを果たしたのは2013年のことだった。6番・一塁で開幕スタメン出場を果たすと好調をキープ。

3月・4月からシーズン終了の10月まで各月ともに打率.280以上をキープし成績は安定。打率.317(543打数172安打)、27本塁打、110打点の成績をマークし、自身初の打撃タイトルとなる打点王を獲得した。

ベストナイン、ゴールデングラブ賞も同時に獲得しリーグを代表する選手へと成長し、オールスターゲームへも初出場を果たしている。

飛躍のきっかけとなったのが5月下旬に4番へ固定されたことだった。開幕から6番を任されていた浅村選手は1番に打順は変わり、5月28日の試合では7番となっていた。その試合の第一打席で空振り三振。その前に守備でミスを犯していたこともあり、ベンチに下げられてしまう。それが事もあろうか、翌日の試合から渡辺久信監督は4番に浅村選手を据えたのだ。ミスを犯し懲罰として交代させた選手を、翌日の試合で4番に起用である。

異例のことだったが、浅村選手はこの起用に応え4試合連続安打をマークするなど調子を上げ、シーズン最後まで4番を守っている。

この活躍からオフシーズンに行われた日本代表対チャイニーズタイペイ戦のメンバーにも選ばれた。

強打の二塁手ながら日本代表には選出されず

浅村選手は入団から内野全ポジションに加え、外野も守るなどポジションは固定されてこなかった。大ブレイクを果たした翌年である2014年も二塁手として88試合、三塁手として33試合に出場。これは、浅村選手の身体能力が高く、どのポジションでもこなしてしまうことにも起因している。

その浅村選手は2015年から二塁手として固定された。一塁手時代のようにゴールデングラブ賞を獲得するには至っていないが、強打の二塁手としてチームを支えていることは間違いない。

しかし、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人選手(ヤクルト)、驚異の守備力を見せる菊池涼介選手(広島)がいることから日本代表には選出されなかった。

背番号「3」そしてキャプテンへ

浅村選手は2017年シーズンから背番号「3」を背負い、そして、キャプテンとしてチームを引っ張っている。西武の背番号「3」は清原和博選手(元西武他)、中島宏之選手(現オリックス)と名選手がつけており一つのステータスでもあった。

その背番号をつけることに思い入れを持っていた浅村選手にとって、念願が叶ったといえる。初めての公式戦となった開幕戦では5打数4安打、1本塁打、1打点と大活躍。新背番号の重圧を感じさせないスタートを切る。

開幕戦以降も好調をキープした浅村選手は4月を打率.361(97打数35安打)、2本塁打、18打点の好成績で乗り越え、チームの上位進出へ一役買っている。

浅村選手には背番号「3」の先輩である清原選手、中島選手の活躍に恥じない活躍をし、キャプテンとしてチームを引っ張り日本一を獲得することに、期待が掛かる。


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